甲斐勝山城

| 所在地 | 山梨県甲府市上曽根町 |
| 形式 | 平山城 |
| 主な城主 | 油川信恵 |
| 遺構 | 曲輪・土塁 |
| 指定・選定 | なし |
| 訪城年月日 | 2026年4月21日 |
| 満足度 | A B C D E |
| 登城難易度 | A B C D E |
| 車での登城 | 可(難) |
曲輪跡






虎口跡?

甲斐勝山城
丘陵南側の登城口
〜この坂道を登って行くと城跡に到達する。小型車なら通れ
そうだが、リスクを避けて徒歩で登った(徒歩でも2分程度)〜

勝山城の築城年代は定かでないが、戦国時代は甲斐武田氏の一族である油川氏の居城であった。永正5年(1508)、城主であった油川
信恵が国主武田信虎と戦って敗死したため、城は信虎方が接収したと思われるが、その後の城主については不明である。勝山城は甲斐・
駿河間を結ぶ中道往還沿いの要衝にあったため、以後は隣国から攻められた際に度々拠点にされている。永正13年(1516)、国人領主の
大井信達が反乱を起こし、大井氏を支援した駿河の今川氏が甲斐に攻め込んで城を占領。大永元年(1521)には、今川氏の将・福島正成が
襲来して入城している。また、天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、駿河の国主となっていた徳川家康が甲斐に侵攻して城を制圧し、
家臣の服部正成(半蔵)に修築させている。
<現地案内板より>
曲輪跡
東側の帯状の曲輪跡
曲輪跡
虎口の土塁
虎口脇に石碑が建っているが、案内板等はない