い ず し
出石城
所在地 | 兵庫県豊岡市出石町内町 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 小出吉英・仙石政明 |
遺構 | 石垣・堀・辰鼓楼 |
指定・選定 | 市指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2010年6月6日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
出石名物「出石そば」を食べて帰りました
〜宝永3年(1706)、信濃上田藩から出石藩に国替えとなった
仙石政明が、蕎麦職人を連れて来たのが始まりとされる〜
登城橋・登城門(平成6年復元)
山里郭跡
下の郭跡
二の丸石垣
二の丸跡
最上段の稲荷郭に建つ稲荷神社
本丸跡
本丸跡に建つ西隅櫓(昭和43年復元)
本丸跡に建つ東隅櫓(昭和43年復元)
出石城は慶長9年(1604年)に小出吉英によって山頂の城を廃して築かれたもので一国一城制による但馬唯一の城です。平山城に分類
され梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の郭三の丸と梯子を立てかけたように城を築いています。また東には山里郭を設けて有事に備え、三の丸の周囲には山から堀り切りで水を引き、内堀をめぐらせ北に大手門、東西にもそれぞれ東門、西門を設け天守閣は築きませんでしたが、隅やぐらや多門を設けて要害としました。
城主は小出氏が9代(100年)松平氏1代(10年)仙石氏7代(160年余)と続き明治の版籍奉還まで270年間5万8千石の本城としてまた但馬第一の雄藩として威容を誇りました。最上段の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祠り本丸二の丸には宏壮な御殿を建て渡り廊下で連結させていました。また本丸には仙石公の藩祖、仙石権兵衛秀久を祠る感応殿や昭和43年に復元した東西隅やぐらがあり往時の面影を偲ばせてくれます。
<現地案内板より>
出石城
大手門跡
山里郭石垣
西の郭跡
稲荷郭の石垣
登城橋の下には谷山川が流れる
三の丸跡に建つ旧出石町役場
稲荷郭から一段下の本丸跡を見下ろす
本丸庭園跡