い ざ く
伊作城
所在地 | 鹿児島県日置市吹上町中原 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 島津忠良(日新斎) |
遺構 | 曲輪・空堀・土塁 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2023年4月12日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可 |
東ノ城跡付近の大空堀
亀丸城(本丸)
亀丸城に設置されている説明板
登り口にある空堀の説明板
伊作城
伊作城は日置市吹上町中原の一帯に広がる山城です。標高70mの台地に築かれたこの城は、周囲を急斜面に囲まれ、伊作川や谷など
自然の地形を活かしつつ、土濠や巨大な空堀も用いた険峻な要害でした。
鎌倉時代(1192〜1333)はじめに築城されたという伝承がありますが、実際には南北朝時代(1337〜1392)に島津本家4代忠宗の
弟・久長(生年不詳〜1341没)が伊作荘地頭職を得、伊作島津家の始祖となり、この城を築きました。
戦国時代(1467〜1573)、島津忠良(日新公)や戦国島津4兄弟(義久・義弘・歳久・家久)といった薩摩藩隆盛の原点を築いた人々が
この城で誕生したことから、江戸時代には聖地として扱われます。
現在、20数ヶ所に及ぶ曲輪が存在し、それらを分ける空堀は主なものだけで27本になります。最も長い空堀は380mで、高さ10m以上の
断崖を持つものもあります。本丸・亀丸城には忠良や4兄弟たちの誕生を記念する石が置かれています。
<現地案内板より>
亀丸城井戸跡
蔵之城跡
城址碑
駐車場の入口近くにある土居(土塁)
東ノ城跡付近の空堀道路
亀丸城〜御仮屋城間の大空堀
御仮屋城説明板
御仮屋(おかりや)城跡
〜城内で最も広い曲輪とされるが、途中までしか行けず、
曲輪の全貌がわからなかった〜
蔵之城跡
蔵之城説明板
亀丸城西辺の土塁
島津忠良誕生地の碑
〜忠良は「島津氏中興の祖」と言われた人物で、貴久の父、
義久・義弘の祖父である〜
島津善久(忠良の父)、忠良、忠将(忠良の子で貴久の弟)、
島津尚久(貴久・忠将の弟)の誕生石
島津4兄弟の誕生石
島津4兄弟の誕生石
亀丸城には城址碑や島津4兄弟の誕生石などがある
亀丸城への登り道
空堀
空堀
亀丸城(本丸)への登り口
〜亀丸城と蔵之城を隔てる空堀が通路になっている〜
伊作城想像復元図(現地案内板)
亀丸城
蔵之城跡