岩村城
所在地 | 岐阜県恵那市岩村町城山 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 遠山氏・松平氏・丹羽氏 |
遺構 | 曲輪・石垣・堀切・井戸 |
指定・選定 | 県指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | @2000年5月4日 |
A2012年10月16日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(出丸跡駐車場まで) |
大手門跡
〜大手口は高石垣と枡形門、三重櫓によって厳重に固められ
ていた。三重櫓は岩村城唯一の三層の櫓で天守に相当した〜
本丸埋門(櫓門)
本丸跡
〜本丸には二重櫓が2基建っていたが、天守は建てられ
なかった〜
大手道
二の丸跡
〜岩村城最大の曲輪で、米蔵・武器蔵・番所等
があったが、残念ながら全く整備されていない〜
二の丸櫓門跡
東曲輪虎口の石垣
〜「六段壁」と呼ばれる〜
本丸の一段下にある「東曲輪」
〜ここには二重櫓が建っていた〜
長局埋門(ながつぼねうずみもん)
〜東曲輪から本丸に至る本丸の正門(櫓門)である〜
本丸にある昇龍の井戸
本丸埋門
本丸埋門
岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜717mに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大城の1つである。
岩村城の創築は鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元年(1185年)に遠山荘地頭に補せられたのに始まる。景廉の長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に改め、以後遠山氏が代々居城した。
戦国動乱の時代に入り、武田信玄の臣秋山信友が天正元年(1573年)に岩村城を奪取して入城したが、同3年に織田軍に敗れ、以後城主は川尻鎮吉と森蘭丸、森長一、森忠政の森3代、田丸具忠と28年間に目まぐるしく交替した。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後、西軍に属した田丸氏に変わって松平家乗(大給松平家)が城主となった。江戸時代の城主は松平氏2代、丹羽氏5代のあと大給松平分家の松平氏7代を経て明治維新を迎えた。
城郭は中世城郭を近世城郭へと修築し、本丸、二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等々が設けられ、丸と曲輪は石塁や自然の断崖をもって区画され、要所に櫓、塀、城門が構えられた。
建物は明治維新により廃城され、後明治6年(1873年)に取壊された。
<現地案内板より>
岩村城
南曲輪跡
大手道
竜神の井
霧ヶ井
東曲輪から見た本丸石垣
出丸跡(駐車場)にある縄張図
八幡曲輪にある八幡宮
〜岩村城創築者・加藤景廉を祀る〜
二の丸菱櫓石垣
東曲輪虎口
本丸からの眺望
本丸跡
本丸石垣と出丸からの登城道
本丸背後にある出丸跡(駐車場)
〜ここまで車で登って来ることができる〜