岩倉城
所在地 | 愛知県岩倉市下本町城址 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 織田敏広 |
遺構 | なし |
指定・選定 | 市指定史跡 |
訪城年月日 | 2014年5月23日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
岩倉城は文明11年(1479)頃織田伊勢守系の兵庫助敏広が築城した。敏広はこの城によって、尾張上四郡(丹羽・葉栗・中島・春日井)を
支配し、下四郡(愛知・智多・海東・海西)を支配する清洲城の織田大和守敏定に対し武威を示し、当時の尾張では清洲城と並んで、もっとも重
要な城であった。
城跡は東西約91m、南北約171m、標高10m台地上にあって、内外二重堀があったといわれ、城跡の南側には外堀とか丸の内といった
地名も残されている。
岩倉城は弘治3年(1557)織田伊勢守信安が末森城主織田信行(信長の弟)と同盟を結んでいたということで、信長に攻められ、その後、
永禄元年(1558)の浮野合戦で敗れ、翌2年3月遂に落城した。
本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は安政7年(1860)に建てられたものである。
<現地案内板より>
岩倉城
「織田伊勢守城址」と書かれた石碑
現在城跡には城址碑と案内板があるだけで
城の遺構は何も残っていない