犬山城
所在地 | 愛知県犬山市大字犬山 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 織田信康・織田信清・成瀬正成 |
遺構 | 天守閣・石垣・空堀・土塁・ |
矢来門(移築)・黒門(移築)・ | |
松の丸門(移築)・内田門(移築) | |
指定・選定 | 日本100名城 |
訪城年月日 | @1983年4月 |
A2011年9月24日 | |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
天守閣
天守閣
七曲門跡(別名見晴門)
黒門跡
〜門礎の一部が残っている。黒門は明治維新後に徳林寺
(丹羽郡大口町余野)に移築され、現存している〜
矢来門跡
〜門礎の一部が残っている。矢来門は明治維新後に専修院
(せんじゅいん、丹羽郡扶桑町柏森)に移築され、東門として
現存している〜
中御門跡
犬山城は天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和4年(1618年)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。
明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24mです。国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城のなかでも、最も古い城であります。平成16年4月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。
<現地案内板より>
犬山城
木曽川対岸から見た犬山城
天守から木曽川を望む(南方)
〜中央にある独立した山は伊木山(いぎやま)といい、戦国時代には伊木山城があった〜
天守から木曽川を望む(北方)
本丸にある小銃櫓跡
天守から見た本丸跡
本丸跡
本丸門(模擬)
岩坂門跡
登城口(中御門)にある犬山城の碑