今治城
所在地 | 愛媛県今治市通町 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 藤堂高虎・松平(久松)定房 |
遺構 | 石垣・堀・井戸 |
指定・選定 | 県指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2011年10月8日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
二の丸の表門である鉄御門(くろがねごもん、平成19年復元)
今治城
伊予宇和島7万石の大名であった藤堂高虎は、関ヶ原の戦いで戦功をあげ、伊予半国20万石で今治に入封した。高虎は、慶長7年(1602)から今治城の築城にかかり、慶長13年(1608)に完成した。城は海水を引き入れた三重の堀に囲まれ、海から堀へ直接船で入ることができた。讃岐高松城、豊前中津城とともに「日本三大水城」の1つに数えられる。慶長14年(1609)、高虎は伊勢の津に移封となり、この時、天守は丹波亀山城(亀岡城)に移築されたというが、そもそも今治城に天守が存在したかについても明らかにされていない。その後、養子の高吉が2万石でそのまま今治を領したが、寛永12年(1635)、高吉も伊賀名張へ移された。続いて、伊勢長島より松平(久松)定房が3万石で入封し、以後明治維新まで松平氏が治めた。
二の丸東隅に建つ御金櫓(おかねやぐら、昭和60年復元)
模擬天守と山里櫓
山里櫓下に建つ今治城址の碑
山里櫓
二の丸跡から見た模擬天守
〜本丸北隅櫓跡に模擬天守が建てられているが、天守が
実在したのかどうか明らかにされていない〜
本丸跡に鎮座する吹揚神社
〜藤堂高虎を祀っている〜
二の丸跡に建つ藤堂高虎の銅像
二の丸跡にある案内図
武具櫓(右端、昭和55年復元)
多聞櫓(武具櫓から左、昭和55年復元)
模擬天守(左奥、昭和55年再建)