池田城
所在地 | 大阪府池田市城山町 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 池田勝正 |
遺構 | 空堀 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2016年1月6日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
空堀(虎口付近)
〜この上から木橋が架かっていた〜
模擬城壁
排水溝(復元)
井戸(復元)
展望台から見た城内
天守風の展望台
〜池田城には天守はなかったと考えられている〜
東門(模擬)
城跡公園入口(東門)
〜一見、大手門風であるが、実際にはここに虎口はなかった〜
城跡公園入口(公園東側)にある公園案内図
池田城は室町時代から戦国時代にかけて、旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた国人・池田氏の居城でした。
池田氏は15世紀の中頃から勢力を拡大し、当時の権力者であった摂津守護細川氏の家臣として、有力な位置を占めていましたが、戦国
時代末期の永禄11年(1568)織田信長の摂津入国により降伏し、信長の家臣に組込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて旧家臣の
荒木村重が池田城を支配し、村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。
この跡地整備の基本資料を得る目的で、平成元年度から4ヵ年をかけ発掘調査を行い、確認された枯山水、井戸、虎口(城の出入口)など
の遺構を復元しました。漆喰塀や櫓風の展望休憩舎、管理棟などの建物やデザインは、史実には基づきませんが、城跡のイメージを演出
させるものとしました。日本庭園は、深山の景、野の景、海の景の3つから形成され、自然の姿を水の流れで表現しています。歴史の保全と
活用から「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として整備を進め、平成11年度に完成しました。
<現地案内板より>
池田城
空堀(虎口付近)
城跡公園北門(模擬)
礎石群(主殿が建っていた辺り)
虎口(復元)
〜ここが本来の虎口で、虎口はここ一箇所のみであった〜
東門脇に建つ城址碑
池田城の想像復元図
枯山水(復元)