伊賀上野城

 所在地  三重県伊賀市上野丸之内
 形式  平山城
 主な城主  筒井定次・藤堂高虎
 遺構  石垣・堀
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日   @2000年11月23日
 A2016年3月20日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

城代屋敷西側の石垣

大天守内部(最上階)

天守への石段

模擬大天守と模擬小天守(昭和10年再建)

上野公園東口にある公園案内図

  藩祖、藤堂高虎は、慶長13年(1608)8月、伊予国から伊賀国10万石、伊勢国の内10万石、伊予国の内2万石に移封となった。
(のち32万3954石余となる)
  高虎は徳川家康の信任が厚く築城の名手でもあった。前城主、筒井定次が築いた上野城の本丸を慶長16年(1611)に豊臣方に備えて西に拡張し、高さ約30メートルの高石垣をめぐらした。
  5層の天守閣は建設中の慶長17年(1612)9月2日、当地を襲った大暴風雨のため倒壊した。
  しかし、慶長19年(1614)の大阪冬の陣と翌年の夏の陣で徳川方が勝利し、幕府は諸大名の城普請を禁じたためこの城では天守閣が再建されないまま城代家老が置かれて伊賀国の城として幕末まで存続した。
  現在の天守閣は、当地出身の政治家、川崎克氏が文化産業振興の城として復興を志し、熊野の山林家、奥川吉三郎氏らの協力を得て私財を投じて資金を調達し、昭和10年(1935)10月18日に落成した。
  「伊賀文化産業城」と名付けられ、その優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれ親しまれている。

                                                                         <現地案内板より>

伊賀上野城

INDEX

本丸高石垣と内堀

本丸高石垣と内堀

城代屋敷南側の石垣

城代屋敷南側の石垣

城代屋敷跡から天守を望む

城代屋敷跡から天守を望む

城代屋敷西側の石垣

          城代屋敷(本丸御殿)跡
〜筒井定次が城主であった時代はここが本丸で、3層の天守
が建っていた〜

天守に入る門

模擬大天守と模擬小天守

本丸表門跡

 概説

城代屋敷の虎口