名護屋城

               三ノ丸跡
〜東西75m×南北110mあり、御殿や櫓が建っていた〜

 所在地  佐賀県唐津市鎮西町名護屋
 形式  平山城
 主な城主  豊臣秀吉
 遺構  曲輪・石垣・井戸
 指定・選定  国指定特別史跡・日本100名城
 訪城年月日  2024年4月18日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  

三ノ丸南東隅櫓台

前田利家 陣跡 大手枡形虎口

前田利家 陣跡 大手枡形虎口

前田利家 陣跡

 前田利家 陣跡 (国指定特別史跡)
〜利家は8千の兵を率いて在陣した〜

        徳川家康 陣跡
〜家康は1万5千の兵を率いて在陣した〜

徳川家康 陣跡 説明版 (拡大可)

大手口手前にある井戸跡

二ノ丸から見た本丸石垣

「名護屋城阯二ノ丸」の碑

徳川家康 陣跡 説明版 (拡大可)

       徳川家康 陣跡 (国指定特別史跡)
〜陣跡といっても関ヶ原合戦などの陣とは違い、石垣や堀
などを備えた城郭レベルの陣であった〜

搦手口

搦手口

                弾正丸
〜五奉行の筆頭・浅野弾正長政の居館があったとされる〜

遊撃丸から本丸天守台を見上げる

遊撃丸説明版(拡大可)

遊撃丸

                遊撃丸
〜明国の講和使節として来日した沈維敬(遊撃将軍の使者)
が滞在した曲輪といわれる〜

二ノ丸から遊撃丸への虎口

遊撃丸南側の石垣

        馬場跡から見た本丸石垣
〜このあたりも破却された石垣が多く散乱している〜

                二ノ丸跡
〜本丸から直接行き来できないため、二ノ丸まで来る観光客
はほとんどいない〜

               二ノ丸跡
〜東西85m×南北110mあり、本丸に次ぐ広さである〜

馬場櫓台

                 馬場跡
〜本丸の南側にあり、二ノ丸から三ノ丸に至る通路でもあった〜

         三ノ丸櫓台
〜城内最大の鏡石が用いられている〜

三ノ丸西側虎口

本丸南隅の新石垣櫓台

               天守台
〜天守は望楼型の5層7階建て(地上6階・地下1階)で、
高さは石垣から約25〜30mあったと考えられている〜

本丸北西隅にある天守台

本丸跡

             本丸跡
〜石碑には「名護屋城阯本丸」と書かれている〜

三ノ丸から本丸へ

三ノ丸から見た本丸石垣

          三ノ丸から見た本丸石垣
〜破城の際に上部の石垣が崩され、石が下に散乱している〜

「名護屋城阯三ノ丸」の碑

東出丸跡からの眺望

東出丸跡

東出丸跡(左手は櫓台)

東出丸の門跡

東出丸の石垣

大手門跡(右手は櫓台)

大手口の石垣と城址碑

大手口

名護屋城配置図(大手口に設置されている案内板より)

名護屋城周辺マップ(大手口に設置されている案内板より)

  今から約400年前、全国統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして1592年〜1598年にかけて文禄・慶長の役
(壬辰・丁酉倭乱)を起こしました。この時、秀吉が配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城です。総面積約17万uに及ぶ
この巨城と各地から参集した大名の陣屋の跡は、『名護屋城跡並びに陣跡』として、国の特別史跡に指定されています。
  特別史跡『名護屋城跡並びに陣跡』は、安土桃山時代の文化、建築、生活などを知ることのできる貴重な文化財であると共に、日本と東アジア
の国々との不幸な出来事を語り伝える歴史の証人でもあります。
  当時では大坂城につぐ規模をもっていた名護屋城の構えは基本的に三段の渦郭式といえるもので、天守台のある本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、
弾正丸、東出丸を置き、北方下段には遊撃丸、水手曲輪、さらにその下段に山里丸と台所丸を配置しています。門は、大手口ほか5カ所あり、
北面には通称鯱鉾池といわれる堀もわたしています。
                                                                           <現地案内板より>

名護屋城

INDEX

馬場跡と櫓台

         天守台から玄界灘を望む
〜文禄・慶長の役では、ここから15万もの大軍が朝鮮へ
渡航して行った〜

天守台

                本丸跡
〜城内最大の曲輪(東西130m×南北125m)で、天守閣
や本丸御殿などが建っていた〜

               三ノ丸井戸
〜写真では見えにくいが、内部はしっかり石組みされている〜

東出丸の石垣

大手道

 概説

二ノ丸西側の石垣

                二ノ丸跡
〜発掘調査の結果、長屋状の建物(築城時の仮設的な建物)
が建っていたことが判明している〜

馬場跡から見た本丸石垣

三ノ丸櫓台

        本丸南隅から発掘された石垣
〜築城後の改造工事により埋められていたものである〜

本丸南西隅櫓跡

本丸大手門跡

三ノ丸から見た本丸石垣

三ノ丸井戸

「名護屋城阯」の碑

大手口の石垣