広島城
所在地 | 広島県広島市中区基町 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 毛利輝元・福島正則・浅野長晟 |
遺構 | 石垣・堀 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2012年3月28日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
天守閣と内堀
裏御門跡から入った所にある案内図
広島城は豊臣秀吉の五大老のひとりで112万石を領した毛利輝元によって築城されました。輝元は天正17年(1589)4月15日、築城の鍬入れ式を行い、その2年後に入城しましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、広島から萩へ移され、かわって福島正則が2代目の広島城主となりました。正則は以後およそ19年にわたって広島城と城下町の整備に努めましたが、広島城修築許可手続きの不備から領地を没収され、元和5年(1619)、紀州和歌山から浅野長晟が3代目の広島城主として入城しました。以後、明治2年(1869)の版籍奉還まで、およそ250年12代にわたって浅野氏が広島城主をつとめました。
<広島城観覧券説明文より>
左から二の丸平櫓、多聞櫓、太鼓櫓
左から二の丸平櫓、多聞櫓、太鼓櫓(いずれも復元)
二の丸跡
本丸跡(上段)
〜ここには本丸御殿が建っていたが、明治7年、火災により
焼失した〜
本丸跡(上段)にある天守礎石
〜天守を復元する際、天守の下にあった礎石を掘り起こし、
この場所に移した〜
南小天守跡
〜天守の南隣にも三重の小天守があった〜
東小天守跡
〜天守の東隣に三重の小天守があった〜
天守内部
天守閣
〜昭和20年の米軍による原爆投下により倒壊したが、昭和
33年に復元された〜
天守閣内に展示されている広島城の模型
広島城
中御門跡(本丸南口)
二の丸表御門と御門橋(どちらも復元)
二の丸井戸跡
裏御門跡(本丸東口)
本丸跡(下段)
天守閣と内堀
m