ひ け た
引田城
所在地 | 香川県東かがわ市引田 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 四宮氏・仙石秀久・生駒親正 |
遺構 | 曲輪・石垣 |
指定・選定 | 続日本100名城 |
訪城年月日 | 2014年4月15日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
引田城跡遠望
南の郭からの眺望
〜引田港が一望できる〜
東の郭櫓跡
〜最高所にある郭で、ここが主郭であったと推定されている〜
東の郭石垣
北の郭石垣
北の郭石垣
北の郭
南の郭
登城口にある案内板
引田城
城の起源は遠く、天智天皇の6年(667)11月屋島築城のとき、阿倍比羅夫率いる引田氏によって築城したものであるとも云われ、また、屋島城(軍団)との連絡のために出来た「狼煙台」として造られたのが城のはじまりになったとも云われている。
この城が内海の要塞として代々の城主四宮氏・仙石氏・十河氏・生駒氏などにより改修が加えられ、近世の城として体裁を完備していったが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、今は山上に石垣・土塁そして空堀などを残すのみで、城郭としての規模はわからない。
しかし引田の住民はこの城を拠点として、事ある時は軍船を操り水軍の衆として大活躍をなし、平時にあたっては内海はもとより朝鮮・支那の遠海に運航し、特に永正年間大内氏と結び近くは堺・兵庫、遠くは台湾・呂宋まで渡航して貿易に従事し、引田港の全盛を招来した。
<現地案内板より>
南の郭櫓跡
山麓の登城口
西の郭石垣
狼煙台跡