飛騨松倉城
所在地 | 岐阜県高山市松倉町 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 姉小路頼綱 |
遺構 | 曲輪・石垣・空堀・堀切・井戸 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2015年5月21日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(ほぼ山頂の松倉シンボル広場まで) |
本丸石垣
本丸石垣
旗立台(二の丸)
大手門跡(二の丸)
二の丸跡
搦手門跡(三の丸)
三の丸石垣
三の丸手前にある堀切
登城口(搦手)
〜松倉山のほぼ山頂、林道の峠にある「松倉シンボル広場」
の前から登城する〜
松倉城
三木良頼、自綱によって、永禄年間(1558〜)から天正年間中頃(1573〜)にかけて築城された。三木良頼は永禄元年(1558)長子良綱(自綱)を将として、天神山城(後の高山城)の高山外記と畑佐城(新宮町)の山田紀伊守を討った。三木自綱は天正5年(1577)中山城(下岡本町)の岡本豊前守を討ち、白川郷を除く一円を支配し、桜洞(益田郡萩原町)を冬城に、松倉城を夏城とした。
松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856.7m比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張りをもつ城である。天正13年(1585)金森長近、可重父子に攻められて落城し以後廃城と
なった。
<現地案内板より>
本丸からの眺望
本丸跡
〜左側の石碑には「史蹟松倉城趾」と書かれている〜
本丸跡
本丸虎口の石垣
本丸虎口
二の丸跡
井戸跡(二の丸)
三の丸東南角櫓跡と石垣
三の丸南石門跡と東南角櫓跡
三の丸西南角櫓下の石垣
本丸跡にある縄張図
本丸跡
本丸虎口の石垣
本丸虎口
三の丸跡
三の丸西南角櫓跡