は た や
畑谷城
所在地 | 山形県東村山郡山辺町畑谷 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 江口光清(あききよ) |
遺構 | 曲輪・空堀・竪堀・土塁 |
指定・選定 | 町指定史跡 |
訪城年月日 | 2022年5月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
西部二重空濠
主郭西側の横堀
主郭西側の横堀
竪濠
東部大空濠
東麓にある東部大空濠
〜見応え十分の巨大空堀である〜
西部二重空濠
畑谷合戦四百年碑(主郭跡)
主郭跡
〜虎口を通り抜けるとすぐに主郭に到達する。
主郭には江口光清の顕彰碑などが建っている〜
主郭空濠曲輪
〜主郭の腰曲輪のような形状である〜
登山口(大手道)
〜ここから山頂まで徒歩約8分である〜
首洗池
東部大空濠
東部大空濠
〜堀の中を歩くことができる〜
案内板に描かれている城の略図
城跡への入口
〜案内板のほか案内所や駐車場がある〜
畑谷城
山形最上氏は、置賜、下長井地方に通ずる要衝の地である畑谷にその部将江口氏を配置して、置賜との境を守らせていた。江口氏は東黒
森山の尾根続きの館山に、山頂を本丸として、各所に空堀を配した山城を築き、その任に当たった。館山山頂は、標高549米で、山形城を
遥かに一望でき、山麓低地との比高は、約70米である。南方は急斜面で、狐越街道白鷹方面を直視し、西方は山続きとなっている。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦にあたり、上杉家直江山城守は、主力軍約2万をひきいて、荒砥から進撃し、山形城を目指して途中の畑谷城
に迫った。9月13日江口道連(光清)は手勢を指揮して迎え撃ったが約二時(ふたとき)の戦いで敗れて、自刃し落城した。山城の攻防戦として
は、山形県下に於いて代表的なものである。
最上家との義に殉じ、不利な山間の山城で散った江口公とその一党の事蹟には特筆されるものがある。墓地の奥地には、江口公のお墓と
彼の義に生きた生涯を顕彰する碑が建てられている。
<現地案内板より>
館山(城跡)遠望
西部二重空濠
西部二重空濠
主郭西側の横堀
主郭西側の横堀
主郭跡からの眺望
山頂に着くと虎口が現れる
東部大空濠
東部大空濠
東部大空濠の土塁
東部大空濠
東部大空濠
もう1つの登山口
〜大手登山口の少し北側にある〜
主郭跡
主郭西側の尾根道を進み西部二重空濠を目指す
〜この辺りはかなり広い平坦地であり、曲輪として機能して
いた可能性がある〜