原田城

 所在地  大阪府豊中市曽根西町
 形式  平山城
 主な城主  原田氏・三好長逸
 遺構  なし
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2013年8月3日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

  原田城の造られた年代は明らかではありませんが、室町時代末期に書かれた「足利季世記」によれば、天文10年(1541)11月に管領
細川晴元の家臣木沢長政が原田城を攻めたとの記述がみられ、少なくとも16世紀初め頃には築かれていたものと考えられています。
  原田城には、主城の北城と砦の南城の2城があり、この場所は北城が築かれていたところで、当時は東西90間(約160m)、南北180間
(約320m)の規模を有し、現在は残っておりませんが堀もあったと言われています。また、南城はここから南東約300mのところにあったと
言われています。
  当時は群雄割拠の戦国の世で各地で合戦がおこなわれ、この原田城も多く史実のなかにその名がみられます。
  天文16年(1547)には城主は不明(「摂津誌」によれば三好日向守)ですが、細川晴元勢3万騎の攻撃によって陥落しています。また、
天正6年(1578)には織田信長による伊丹有岡城にたてこもる荒木村重討伐のさい、この原田城は信長軍の付城として信長配下の武士が
在番していました。
                                                                        <現地案内板より>

原田城

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