は な ぐ ら

花倉城

 所在地  静岡県藤枝市花倉
 形式  山城
 主な城主  今川氏
 遺構  曲輪・空堀・土塁・土橋
 指定・選定  市指定史跡
 訪城年月日  2017年5月11日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  可(ほぼ山頂?の登城口まで)

     二の丸南側の尾根道
~この場所は第3郭とも考えられるが、
現地には特に表示はない~

登城口から歩き出してすぐに形状の良い土橋が!

二の丸南側にある空堀

二の丸南側にある空堀

本丸と二の丸の間にある空堀

登山道

        車道終点の登城口
~奥の左手に城の案内板が設置されている~

登城口に設置されている案内板

  花倉城は、今川氏初代目範国が、足利将軍尊氏の命を受け駿遠へ進出し、その子範氏が、文和2年(1353)花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたものと伝えられています。
  その後氏家、泰範、範政と3代約60年間今川氏の本拠地として栄え、範政が駿府へ本拠地を移した応永18年(1411)後も、一族を花倉遍照光寺の住職とし、堅塁花倉城を、駿府の西の守りとしていた。
  300米山上の本曲輪は、現在雑木が密生しているところで、これを切払えば昔と同じ見晴らしのよい適地が現われるでしょう。本曲輪と二の曲輪の間及び西南80米程の所に大きな空堀も残っています。
  山麓勝谷に範氏の建てた遍照光寺(現在の遍照寺)、東側の半谷に泰範の建てた長慶寺があり、ここには範氏、氏家の墓、泰範、雪斉の墓が並んでいます。
  今川氏館があったところは、遍照寺前の平地と伝えられています。
  城を中心にその附近の平地に家臣団の屋敷があったため、大揚、松井、矢部、新野、左近とか小字名として残っています。
                                                      
                    <現地案内板より>

花倉城

INDEX

二の丸南側の尾根道からの眺望

花倉城遠望

本丸跡

本丸跡

本丸と二の丸の間にある空堀

二の丸跡

        帯曲輪(二の丸直下)
~登城口から徒歩10分弱で城域に到達する~

花倉城へは道幅は狭いが車道がついていて、山頂近くまで
車で上がって行くことができる。周囲には茶園が広がる。

 概説

二の丸土塁