ご ち ゃ く
御着城
本丸跡に建つ城址碑
所在地 | 兵庫県姫路市御国野町御着 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 小寺政隆・則職(のりもと)・政職(まさもと) |
遺構 | 土塁・堀 |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2014年12月28日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
本丸跡にある小寺大明神
〜城主小寺一族が祀られている〜
東出張所の北側にある天川橋(下は堀跡)
〜城の西側を流れる天川に架かっていた石橋で、昭和47年
に出水のため崩れこの地に移された〜
本丸跡
〜天守閣風の姫路市役所東出張所が建っている〜
御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。永正16年(1519)小寺政隆が築城、則職・政職と継承され天正6年(1578)か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜44)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。
昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われた事が判明。中世の人びとの生活に深くかかわる土器・陶磁器・木製品・石製品等の遺物も検出された。
宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」には城の中核に本丸と二ノ丸、西と南は天川を利用した二重の堀、北と東は四重の堀、外郭部に家中屋敷や町家の記載があり、惣構えの城が描かれている。現在、御着城跡の中央を東西に国道2号線が走り、本丸跡に市役所東出張所・御着城公園・御国野公民館がある。
<現地案内板より>
御着城
官兵衛の父黒田職隆(もとたか)の墓
〜城跡から南西約7kmの場所(姫路市飾磨区妻鹿372-1)
にある〜
東出張所の西側にある黒田家廟所
〜官兵衛の祖父重隆(左)と生母明石氏(右)の墓石が並ぶ〜
本丸(道路右)と二ノ丸(道路左)を区切る内堀跡
〜現在は道路になっている〜
二ノ丸跡
〜二ノ丸跡は現在グランドになっている〜
二ノ丸跡
本丸跡に建つ黒田官兵衛顕彰碑
城跡公園(本丸跡)にある案内図
城山城地図