が く で ん
楽田城
所在地 | 愛知県犬山市城山(楽田小学校) |
形式 | 平城 |
主な城主 | 織田久長 |
遺構 | なし |
指定・選定 | なし |
訪城年月日 | 2014年5月23日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
楽田城は、織田久長により永正年間(1504〜1521)に築城されたと伝えられます。
戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、楽田城が急襲を受けた永禄元年(1558)の様子が書かれています。この時、
城中に高さ2間余の垣を築き、その上に5間7間の矢倉を作り、中央に矢を立て並べた8畳敷の2階座敷を設けたとあります。天守は館の上
に設けた望楼から始まったとされ、楽田城がその起源といわれています。
天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦時には、小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされましたが、合戦終結の講和条件
により取り壊しとなりました。
楽田小学校の敷地は楽田城のあったところです。昭和54年に学校敷地が拡大されるまでは土壇や堀の痕跡がありましたが、現在は当時
の面影を残すものはありません。
<現地案内板より>
楽田城
「楽田城址」の石碑
現在城跡には城址碑と説明板があるだけで
城の遺構は何も残っていない