古高山城

 所在地  広島県三原市高坂町真良
 形式  山城
 主な城主  小早川氏
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日  2016年11月16日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

       古高山城遠望
〜山麓を山陽新幹線が貫通している〜

          高野丸(権現丸)跡
〜曲輪の先端に土盛があり、その上に三角点がある。
高野丸(または権現丸)との表示はない〜

     イワオ丸から見える眺望
〜中央を流れる川は沼田川(ぬたがわ)〜

  鎌倉時代初期、鎌倉幕府の御家人土肥遠平(実平の子)は相模国早川荘(小田原市早川)を領して小早川氏を称した。遠平は平氏討伐の功によって安芸国沼田(ぬた)荘の地頭となり、安芸に移住した。古高山城は建永元年(1206)、遠平の孫茂平によって築かれ、小早川氏はその後本家の沼田小早川氏と分家の竹原小早川氏に分かれたが、古高山城は沼田小早川氏の本拠となった。天文10年(1541)、竹原小早川家の当主が嗣子なく病没したため、毛利元就の三男(小早川隆景)が養子となって竹原小早川家を継いだ。その後、沼田小早川家の当主も病弱かつ盲目であったことから、隆景は沼田小早川家も継ぐこととなり、結果、両家が統合された。天文21年(1552)、隆景は沼田川対岸に新高山城を築いて移ったため、城は廃城となった。

INDEX

 米山寺の向かい側にある小早川家歴代墓所
左から15代正平、16代繁平、17代隆景の墓

城跡の南方にある小早川家の菩提寺・米山寺(べいさんじ)
        〜三原市沼田東町納所460〜

          本丸跡
〜広大であるが眺望は全くきかない〜

        本丸跡

馬場跡西側に残る井戸跡

扇ノ丸の下には所々に石垣が残る

搦手道を10分余り登ると「北ノ丸」に到達する

古高山城

西丸(右)と出丸(左)の間の堀切

イワオ丸に残る貯水池?

イワオ丸跡

イワオ丸には大きな岩盤が横たわる。
イワオ丸の名前の由来か???

本丸のさらに奥(北側)イワオ丸へ向かう

扇ノ丸の下には所々に石垣が残る

扇ノ丸跡

本丸虎口の脇には石垣が残る

二ノ丸跡

二ノ丸跡

登山口(搦手道)

登山口にある案内図

 概説

西丸から出丸(右上)方面を望む
〜間には堀切が掘られている〜

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