古宮城

 所在地  愛知県新城市作手清岳字宮山
 形式  平山城
 主な城主  武田氏城将(小幡・甘利・大熊)
 遺構  曲輪・空堀・土塁
 指定・選定  市指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2018年5月16日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

西城 本曲輪土塁

西城 本曲輪土塁

          東城 枡形虎口
〜階段を登るとすぐに東城の枡形虎口に至る〜

西城 二の曲輪

東城と西城を分断する空堀

      東城 本曲輪
〜城内には看板等は一切ない〜

              東城 本曲輪
〜最高所にある曲輪で古宮城の主郭であったと考えられる〜

  当城址は、甲斐の武田信玄が三河進出の拠点とするため、宿将馬場美濃守信房に命じ元亀2年(1571)に築城したと伝わる。城址は南北約200メートル、東西約250メートルの独立した小山全体からなっている。
  当時は南東北の三面が湿地になっており、西方は塞ノ神城に通じ主要部が東西に分かれた一部別郭式の要害堅固な城であった。北側から南側にかけて、中央部に全長140メートルの豪壮な竪濠があり、東城と西城に分離している。この竪濠の北側下端には、井戸址と、三方を高さ1.5メートルの土塁で囲んだ約2.5アールの溜池がある。
  西城の本曲輪は、約4.2アールで、その東側土塁には左右2箇所の虎口を設けているのが特徴である。
また、西城北側には五重の濠を擁して西方からの攻撃に備えている。
  東城は頂部において幅約4メートルの通路で西城とつながり約3.8アールの本曲輪に並んで二の曲輪がありその北部は多数の曲輪が見られる。
  東側下端は長さ250メートル最大幅30メートルの馬場を備えており県内唯一の甲州流築城といわれる。
  尚、要害を誇ったこの城も天正元年(1573)に奥平・徳川連合軍の手によって落城した。

                                                                         <現地案内板より>

西城 本曲輪下(北側)の横堀

            西城 本曲輪
〜土塁が曲輪を外周する形状がはっきりとわかる〜

古宮城

INDEX

西城 横堀

西城 横堀

東城 本曲輪土塁

         東城 二の曲輪
〜本曲輪の東側にある城内最大の曲輪である〜

          東城 枡形虎口
〜虎口の向こうには本曲輪と二の曲輪がある〜

            白鳥神社
〜神社の脇(写真右側)の階段を登って城跡へ〜

 南麓にある白鳥神社
〜ここから登城する〜

            城跡遠望
〜城は宮山と呼ばれる独立丘陵に築かれていた〜

 概説