福山城
所在地 | 広島県福山市丸之内 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 水野勝成・阿部氏 |
遺構 | 伏見櫓・筋鉄御門・石垣・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 |
訪城年月日 | 2012年3月28日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
二の丸跡に建つ水野勝成の銅像
二の丸 東揚楯御門跡
本丸の正門である筋鉄御門(すじがねごもん)
〜現存の門で(重文)、伏見城から移築されたもの〜
本丸南西隅に建つ伏見櫓(現存、重文)
〜これも伏見城から移築されたもの〜
御湯殿(昭和41年復興)
〜伏見御殿に付随する建物で、伏見御殿と同様元は伏見城
から移築されたものである〜
伏見御殿(本丸御殿)跡
〜伏見御殿は築城の際に伏見城から移築された
ものである〜
天守閣
天守閣(昭和41年復興)
天守閣内に展示されている福山城の模型
福山城
本丸西側に建つ鐘櫓(昭和54年復興)
本丸南東隅に建つ月見櫓(昭和41年復興)
〜元は伏見城から移築されたもの〜
元和5年(1619)徳川譜代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に城を築いてから福山の城下町としての歴史は始まりました。その後、水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県にいたるまで、福山城が藩治の中心となったのです。
明治6年廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除いて、ほとんど取り壊されました。しかも、昭和20年の戦災により、天守閣と御湯殿を焼失しましたが、昭和41年秋に市制50周年記念事業として、天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。
幸い焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を止め国の重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されています。福山城は近世築城の最後のものとしてその完成された築城術の粋を誇るもので、全国城郭中屈指の名城とたたえられていました。福山城博物館は、その歴史と文化を、数々の資料を展示して伝えるものです。
<福山城パンフレットより>
天守最上階より福山市街を望む
本丸の搦手門である棗御門(なつめごもん)跡
黄金水と呼ばれる本丸に現存する井戸
本丸東側に建つ鏡櫓(昭和49年復興)
天守最上階から本丸跡を見下す