福岡城

 所在地  福岡県福岡市中央区城内
 形式  平山城
 主な城主  黒田長政
 遺構   南丸多聞櫓・南丸西隅櫓・潮見櫓・祈念櫓・
 母里太兵衛邸長屋門・名島門・石垣・堀・井戸
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日  2001年10月7日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

黒田長政の墓(崇福寺)

崇福寺にある黒田如水の墓

本丸石垣

本丸東隅の月見櫓跡

    本丸北東隅に建つ祈念櫓(現存)
〜鬼門封じの祈念をするために建てられた〜

福岡城

  福岡城は、福岡初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601年)から7年をかけて築かれました。前年に豊前国(大分県)中津から筑前に
入国した当初は、小早川隆景の居城だった名島城に入りましたが、治政のつごうからここ福崎の丘陵が新しい城を築く適地として選ばれました。城の名前は、黒田家再興の故地である備前国(岡山県)邑久郡福岡にちなみ、福岡と名付けられました。この城は、東側を那珂川で画し肥前堀・中堀を構え、西側の干潟地を深く掘って大堀とし、正面の北側は内堀を構えて海側に城下町を配し、搦手である南側は赤坂山を掘り切って四周を水堀に囲まれた平山城としています。城域は土塁や石垣によって三ノ丸・二ノ丸・本丸に区画され、石垣の上には47棟の櫓が設けられるなど、重厚な城構えとなっています。総面積は24万坪(約80万平方メートル)で、全国でも有数の規模を誇っています。

                                                                           <現地案内板より>

INDEX

本丸相御殿跡

本丸跡

二の丸跡

 概説

    黒田家の菩提寺・崇福寺(博多区千代)の山門
〜この門は元々福岡城の本丸表御門であったが、大正7年
(1918年)に崇福寺に移築された〜

               大天守台跡
〜福岡城には大天守・中天守・小天守が存在したとされるが、
実際に天守が存在したのかは明らかになっていない〜

天守台埋門跡

天守台への入口である鉄御門跡

黒田如水隠居地(三の丸御鷹屋敷跡)

名島門(現存、元は名島城にあった門)

母里太兵衛邸長屋門(現存)

大手口に建つ潮見櫓(現存)