福井城
所在地 | 福井県福井市大手 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 結城(松平)秀康・松平忠直・忠昌 |
遺構 | 石垣・堀・井戸 |
指定・選定 | 続日本100名城 |
訪城年月日 | 2001年5月5日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
本丸跡
〜本丸には南西隅に坤(ひつじさる)櫓、南東隅に巽櫓、北東
隅に艮(うしとら)櫓が建ち、中央に本丸御殿が建っていた。
御殿のあった場所には現在福井県庁(写真の建物)が建つ〜
天守閣跡に残る福の井
福井城
この地には元来、柴田勝家が築いた北ノ庄城があったが、関ヶ原の合戦後、徳川家康の次男・結城秀康が下総結城から67万石で入封し、6年の歳月をかけて完成させた。秀康は慶長9年(1604)、松平姓に復姓したが、同12年(1607)に34歳で病死した。秀康の死後、長男の忠直が家督を継ぐが、横暴・乱行が目立ち、元和9年(1623)、2代将軍秀忠より隠居を命じられ、豊後府内へ配流された。その後、忠直の弟忠昌が越後高田より50万石で入封し、越前松平3代目となった。忠昌はそれまでの「北ノ庄」の地名を「福居」と改めた(さらに元禄の頃「福井」となった)。寛文9年(1669)、4代光通の時、大火により天守閣をはじめ城郭の大半が焼失した。光通は幕府から5万両を借りて3年がかりで城郭を再建したが、天守の再建は幕府から許可されなかった。その後、松平氏が17代目まで続いて明治維新に至った。現在、城跡(本丸跡)には「福井県庁」「福井県警」「県議会議事堂」が建っている。
天守閣跡
本丸北西隅にある天守台
〜かつては四重の天守が建っていた〜
本丸の西口である山里口御門跡と御廊下橋
本丸の南口(大手)である瓦御門跡と御本城橋