越中松倉城
所在地 | 富山県魚津市鹿熊 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 椎名長常・康胤 |
遺構 | 曲輪・堀切・土塁 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2018年10月15日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(本丸・二の丸下まで) |
本丸奥部に横たわる巨石群
案内板(本丸奥部)
本丸奥の一段高くなった曲輪
林道の終点は本丸跡のすぐ下であり、駐車スペースもある
⤴
三の丸と四の丸を区切る堀切
三の丸跡
二の丸と三の丸を区切る堀切
駐車場案内板に描かれた松倉城と周辺の絵図
松倉城
城址碑・案内板(本丸奥部)
松倉城は、魚津市南部に位置する松倉山(標高430m)に築かれた連郭式の山城である。築城時期は南北朝時代の初め頃とされる。以後、越中守護代の椎名氏が代々城主となり、新川郡(富山県東部)を支配した。戦国時代には、隣国の越後から長尾為景、さらにその子上杉謙信
に攻め込まれ、椎名氏はそれらに従属する形となるが、松倉城主の地位は維持していた。元亀4年(1573)、椎名康胤は上杉謙信と対立する武田信玄と結んだため、謙信に城を攻められて落城。康胤は城から退去した。その後、上杉氏家臣の河田長親や須田満親が城将となるが、
天正11年(1583)、織田信長の越中進攻の際、織田方の将・佐々成政によって攻略された。城は慶長年間に廃城になったという。
本丸から二の丸方面を望む
城跡遠望
本丸腰曲輪
四の丸土塁
四の丸跡
四の丸への道
~四の丸へはいったん車道に出て車道を少し下って行くと
場所がわかりやすい~
三の丸土塁
三の丸跡
二の丸跡
二の丸跡
本丸からの眺望
~写真ではわかりにくいが富山湾や能登半島も見渡せる~
松倉城の説明文
本丸跡
本丸跡
本丸と二の丸を区切る堀切
本丸と二の丸を区切る堀切
県道67号線 角川ダムの東側から松倉山に登って行く林道
があり、車で山頂まで上がれる。ここから城跡までの距離は
3.3kmである。
松倉城主の碑
登城口