菩提山城
所在地 | 岐阜県不破郡垂井町岩手 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 竹中重元・半兵衛 |
遺構 | 曲輪・土塁・空堀・堀切・竪堀・井戸 |
指定・選定 | 町指定史跡 |
訪城年月日 | 2012年5月11日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
本丸の手前にある土橋
本曲輪跡からの眺望
本曲輪跡
本丸と二の丸の間に掘られた空濠
西の曲輪跡
台所曲輪跡
出曲輪跡
伊吹山系の東端に位置する標高402mの菩提山頂に築かれた東西約150m、南北約300mの西美濃最大級の山城である。7つの曲輪と多くの小削平地、堀切、竪堀などが巧みに配置されている。
『美濃国諸家系図』によると応永20年(1413年)に岩手弾正左衛門頼重が「岩手山城」に住んでいたとしているが、「菩提山城」の名前が見える最も古い記録は、天文13年(1544年)美濃守護職土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状に見える。
永禄元年(1558年)竹中遠江守重元は、岩手氏を攻略して岩手付近一帯や福田、長松(現大垣市)をあわせた6千貫の領主となり、翌年ここに城を築いた。
重元の子、竹中半兵衛重治はこの城に住んでいたが、永禄7年(1565年)稲葉山城を攻略し、その後織田信長、豊臣秀吉に仕え天正7年(1579年)に播磨三木城(兵庫県三木市)攻めの陣中で病没した。
重治の子重門は菩提山城を下り、岩手に陣屋を構えた。
<現地案内板より>
菩提山城
禅幢寺には小西行長の墓もある
菩提山城東方にある禅幢寺(ぜんどうじ)には半兵衛の墓がある
菩提山城東方にある竹中氏陣屋跡
菩提山城跡遠望
腰曲輪跡
本曲輪跡
本曲輪跡
二の曲輪跡
本丸と二の丸の間にある馬出
三の曲輪跡
大手曲輪(番所)跡
登城口
山頂の本曲輪跡にある縄張図
陣屋櫓門の横に建つ竹中半兵衛の像
登城口にある案内板