備中高松城
所在地 | 岡山県岡山市北区高松 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 石川氏・清水宗治・花房氏 |
遺構 | なし |
指定・選定 | 国指定史跡・続日本100名城 |
訪城年月日 | 2009年10月16日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
二の丸跡
備中高松城
全国統一を目指した織田信長は西進を図り毛利方と対峙した。毛利方は備中境に境目七城(高松城・宮地山城・冠山城・加茂城・日幡城・庭瀬城・松島城)を築き備えた。織田軍の先鋒羽柴秀吉は、天正10年に3万の軍勢をもって同国南東部に侵攻し、境目の城を次々に攻略した。最後に、攻めあぐねていた高松城の周囲に約2.6kmの堤防を短期間(12日間)で築き、折からの梅雨を利用して足守川の水を引き入れ水攻めを敢行した。籠城1ヶ月余を経て城兵が飢餓に陥ったころ、本能寺の変が起きた。秀吉は毛利との講和を急ぎ、高松城主清水宗治の切腹と開城を条件に休戦を成立させ、ついに高松城を落城させた。
本丸跡には明治末年に移転改葬された宗治の首塚があり、北西の家中屋敷跡の一画に宗治の遺骸を埋葬した胴塚も残されている。築堤跡は蛙ヶ鼻に現在も一部現存している。
<現地案内板より>
城址公園近くにある清水宗治の胴塚
城址公園の前にある清水宗治の墓
~舟の上で切腹した場所とされる~
本丸跡にある清水宗治の首塚
本丸跡に建つ「清水宗治城址」の碑
本丸跡