有岡城(伊丹城)

 所在地  兵庫県伊丹市伊丹
 形式  平城
 主な城主  伊丹親興・荒木村重
 遺構  石垣・土塁・堀跡・井戸跡
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日  @2002年5月5日
   A2012年12月29日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

     有岡城の戦いの忠魂碑
〜この場所は天守跡地と推定される〜

  南北朝時代から伊丹氏の城として発展してきた伊丹城は、永正17年(1520)には城下町をも城の中に取り込んだ「惣構」構造の兆しが見られ、その後の一向宗との合戦など、数々の戦いを経て次第に強化されていきました。
  天正2年(1574)、織田信長の部将、荒木村重が伊丹氏を破って入城し、「有岡城」と改名しました。そして摂津一国の軍事上の中心として
大改修を行い、主郭部・侍町・町屋地区の全体を堀と土塁で囲み、北・西・南にそれぞれ砦を配した惣構の城を完成させました。
  天正6年、村重が信長に背いたため、大軍によって包囲され、10ヵ月の攻防戦の末に落城しました。その後、池田之助が城主となりますが、同11年には美濃国に移り、城は廃されました。城下町のうち町屋地区はそのまま残り、江戸時代には酒造りの町として栄えました。主郭部は
「古城山」などと呼ばれ、堀跡や土塁が残っていましたが、明治時代に鉄道(現在のJR宝塚線)が開通したことにより、大半が取り壊されました。
  しかし、昭和50年(1975)から行なわれた発掘調査により、土塁の石垣や建物跡など、貴重な遺構が残されていることがわかって、国史跡
に指定されました。現在の史跡公園は昭和58年度から平成5年(1993)度まで10年以上かけて整備したものです。現在地から右手(北方)にある土塁・石垣・建物跡・井戸跡などもぜひご覧ください。

                                                                          <現地案内板より>

有岡城

INDEX

西側の土塁

主郭部隅櫓の石垣

主郭部への入口

 概説