明知城
所在地 | 岐阜県恵那市明智町 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 遠山景行・一行 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・空堀・貯水池 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2000年5月4日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 可(搦手口) |
明知城跡遠望
東の丸砦跡
明知城
宝治元年(1247年)源頼朝の重臣、加藤次景廉の孫である明智遠山氏の始祖、景重の築城による遠山氏累代の居城であった。天険の地形を巧みに利用した山城で、土盛砦として保塁数大小23ヶ所を備え、原形のまま残されているのは日本でも数少ない山城として県の指定文化財となっている。天正二年春(1574)武田勝頼二万の大軍を以って、東濃の諸域を攻略、三河、尾張、遠江、駿河への拠点明智城を目指す。城主遠山一行が叔父利景とともに急を織田信長に報じ兵五百とともに之を護る。信長、事の重大さを思い明智城を授けんと、子、信忠とともに兵三万を率い明智城の西方鶴岡山に布陣するも、武田の将、山県三朗兵衛景昌千騎を以って信長の退路を断つ。信長山岳戦の不利を思い、動かずやがて兵を引く。援軍を失った明智城は落城した。
<現地案内板より>
伝 明智光秀学問所
城門の石垣跡
腰曲輪跡
三の丸跡
二の丸跡
本丸跡