吉田城

 概説

吉田城のすぐ北を流れる豊川

南御多門の石垣

入道櫓跡

本丸北西隅に建つ鉄櫓(くろがねやぐら、昭和29年模擬再建)

 所在地  愛知県豊橋市今橋町
 形式  平城
 主な城主  牧野古白・池田輝政・小笠原忠知
 遺構  石垣・空堀・土塁
 指定・選定  続日本100名城
 訪城年月日   @1983年4月
 A2014年4月24日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

南御多門の石垣(内堀側)

        金柑(きんかん)丸跡
〜築城当初(牧野氏時代)はここが本丸であったと
考えられている〜

      北御多門跡
〜本丸の北口で櫓門があった〜

       裏御門跡
〜本丸の東口で櫓門があった〜

          南御多門跡
〜本丸の南口で橋の向こうに櫓門があった〜

本丸の北側、豊川に面している川手櫓跡
    〜三重の櫓が建っていた〜

        千貫櫓跡
〜櫓跡には吉田城址の碑がある〜

    本丸南西隅の千貫櫓跡
〜石垣上に三重の櫓が建っていた〜

    本丸南東隅の辰巳櫓跡
〜石垣上に三重の櫓が建っていた〜

    本丸北東隅の入道櫓跡
〜石垣上に二重の櫓が建っていた〜

                本丸跡
〜本丸には天守はなく、本丸御殿と4基の隅櫓が建っていた。
本丸御殿は将軍上洛時の宿所として建てられたが、宝永4年
(1707)大地震で倒壊し、以後再建されることはなかった〜

吉田城縄張図

INDEX

吉田城

  吉田城ははじめ今橋城と称し、永正2年(1505)牧野古白によって築城された。
  以来東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将が攻防を繰り返した後、天正18年(1590)に池田輝政が入封し15万2千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行われた。しかし輝政は在城10年で播磨姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため輝政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。
  この城の縄張りは背後に豊川をひかえ、本丸を中心に、二の丸、三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の「後ろ堅固の城」といわれるものである。
                                                      
                   <現地案内板より>

         三の丸口門跡
〜豊橋公園(城址公園)の入口でもある〜

二の丸口門跡

       二の丸御殿跡
〜歴代の城主が住んだ御殿があった〜

二の丸跡

本丸東側の空堀

本丸南側の空堀

裏御門の石垣

辰巳櫓跡

豊川(とよがわ)対岸から見た鉄櫓