米沢城

 所在地  山形県米沢市丸の内
 形式  平城
 主な城主  伊達晴宗・伊達輝宗・伊達政宗・上杉景勝
 遺構  堀・土塁
 指定・選定  続日本100名城
 訪城年月日   2022年5月10日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

直江兼続夫妻の墓(左:兼続、右:お船の方、県指定史跡)

吉江宗信(上杉謙信重臣)の墓

甘糟景継(上杉景勝重臣)の墓

            武田信清の墓
〜武田信清は武田信玄の六男であり、武田家滅亡後、
逃れて上杉景勝に仕えた〜

      仙桃院の墓石
〜正しくは「仙洞院」と書くらしい〜

               仙桃院の墓
〜上杉謙信の姉で上杉景勝の母である。景勝の庇護を受け、
上杉家の移封とともに会津、米沢に移った〜

    本丸西虎口
〜両側に土塁が残る〜

本丸南虎口(菱門橋)

    上杉神社
〜上杉謙信を祀る〜

上杉神社

本丸跡は現在上杉神社になっている

上杉謙信御堂跡

本丸水堀(北側)

本丸水堀(東側)

北参道案内板に描かれた松が岬公園(米沢城址)案内図

  伊達氏・上杉氏の居城で、松岬城・舞鶴城とも呼ばれる。
  米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられる。その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、天文17年
(1548)には伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の3代で米沢城下が整備された。
  天正19年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入るが、慶長3年(1598)に上杉
景勝が会津120万石に入封、米沢城には重臣・直江兼続が配された。
  慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦いで西軍方についた上杉景勝が米沢30万石に減封され米沢城に入城、城下の拡張整備に着手した。
以後、寛文4年(1664)に後継問題で米沢藩は15万石となるが、米沢城は約270年間にわたり上杉氏13代の居城として明治維新を迎えた。
  城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、三の丸の東側には町人町・職人町が置かれた。本丸の中央は藩主の住む
御殿があり、南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、北東と北西の隅には3層の隅櫓があった。
  明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、本丸跡は松が岬公園と上杉謙信を祭る上杉神社になる。堀と土塁が往時を偲ばせ、堀の周囲には
桜の木が並び桜の名所ともなっている。
                                                                          <現地案内板より>

本丸南西隅にある春日神社
 〜上杉家の氏神である〜

直江兼続夫妻の墓説明板(拡大可)

米沢城

INDEX

           菊姫(甲州夫人)の墓
〜菊姫は武田信玄の娘であり、信玄の死後、嫡子勝頼は
上杉景勝と盟約を結び、天正7年(1579)、妹菊姫を景勝に
嫁がせた〜

春日山林泉寺境内案内図

春日山林泉寺にある上杉家廟所

         春日山(かすがさん)林泉寺
〜米沢城址から南へ約1.3kmの場所にある。上杉家及び
直江兼続の菩提寺である〜

上杉景勝の霊廟

上杉謙信の霊廟

歴代藩主の霊廟が立ち並ぶ

         上杉家廟所(国指定史跡)
〜米沢城址から西へ約1.3kmの場所にあり、米沢藩歴代
藩主の霊廟がある〜

本丸北虎口

三階櫓跡

三階櫓跡

本丸東南隅の台上には上杉謙信の御堂が建っていた

「伊達政宗公生誕の地」の碑

上杉鷹山(米沢藩9代藩主)の像

本丸大手口(上杉神社正面参道、橋は舞鶴橋)

 概説

二の丸跡

  二の丸跡に建つ松岬(まつがさき)神社
〜上杉鷹山・上杉景勝・直江兼続らを祀る〜

    本丸北東隅にあった三階櫓跡
〜上杉義山(12代藩主)の顕彰碑が建つ〜

上杉謙信の像