八上城

 所在地  兵庫県篠山市八上内
 形式  山城
 主な城主  波多野稙通・晴通・秀治
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・池
 指定・選定  国指定史跡
 訪城年月日  2001年10月27日
 満足度  A  C D E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

              はりつけ松跡
〜落城の際、光秀の母の処刑に使った松の跡と伝えられる〜

二の丸跡

三の丸跡

八上城

INDEX

  高城山、標高459m、丹波富士と呼ばれる秀峰であり、八上城攻防の戦われた古戦場跡である。八上城は永正期より約50年、波多野秀治になって完成された丹波支配の拠城である。天正3年から天下統一を目指す織田信長の命による明智光秀の丹波攻略は熾烈を極め、前後11回にも及ぶという。ついに利あらず、和議と称する謀略により秀治、秀尚兄弟は殺され、城中の全将兵は城に火を放ち自刃して落城、時に天正7年のことである。落城に伴う悲話も数多く石垣や曲輪の跡、城下町等の名残に秘められているようである。慶長14年、松平康重城主の時、篠山城が天下普請で構築され、八上城は廃城となった。
                                                                          <現地案内板より>

朝路池跡

本丸跡に建つ 「従三位波多野秀治公表忠碑」

               朝路池跡
〜飲料用水池であるが、落城の際、朝路姫が入水自殺した
と伝えられる〜

蔵屋敷(兵糧蔵)跡

    岡田丸跡
〜重臣岡田某の館跡〜

本丸跡

  右衛門丸跡
〜城主の屋敷跡〜

      下の茶屋丸跡
〜西方からの敵に備えた重要陣地〜

八上城縄張図(登山口案内板より)

 概説

本丸石垣

              鴻の巣
〜北麓御前屋敷の堀と西麓の堀を警備した砦の跡〜

             主膳屋敷跡
〜慶長期の城主・前田茂勝(前田玄以の子)の居館跡〜

山麓の大手口(春日神社脇)

登山口案内板