若江城

| 所在地 | 大阪府東大阪市若江南町 | 
| 形式 | 平城 | 
| 主な城主 | 遊佐氏・三好義継 | 
| 遺構 | なし | 
| 指定・選定 | なし | 
| 訪城年月日 | 2009年2月28日 | 
| 満足度 | A B C D E | 
| 登城難易度 | A B C D E | 
  若江城は、南北朝時代の争乱期(14世紀末)に、幕府の命令により河内国内の武士の統率と取締りのため、河内国守護に任じられた畠山
  基国が、北朝方の拠点として築いた城郭と考えられ、永徳2年(1382)から天正元年(1573)までの約二世紀間、河内国守護の政庁の役割
  を果しました。
    畠山氏は、満家・持国に継がれ、このあと政長と義就の義兄弟の家督争いは、有名な応仁の乱へと発展し、やがて支配は細川氏から三好
  氏へ移り、永禄11年(1568)には畿内を平定した織田信長が三好義継を若江城主に、畠山高政を高屋城主としました。
    城は、石山本願寺攻撃の拠点として使われましたが、和議が成立し、城の役割を終えて廃城となり、歴史から姿を消すことになりました。
    若江城の跡は、昭和47年以来の発掘調査で、次第に明らかになってきており、若江公民分館を中心として、周辺から二重の堀や土塁・
  各種建物・溝・井戸などの跡や、瓦類・土器類・武器類など、多数の城跡の存在を裏付ける資料が出土しています。
                                                                           <現地案内板より>
若江城