宇和島城

 所在地  愛媛県宇和島市丸之内
 形式  平山城
 主な城主  藤堂高虎・伊達秀宗
 遺構   天守閣・上り(のぼり)立ち門・石垣・曲輪・
 井戸
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日  2011年10月9日
 満足度  A B C D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  不可

鉄砲矢倉跡

御台所跡

二の丸から天守を望む

二の門跡

本丸石垣と三の門跡

          井戸丸跡
〜囲いの中に深さ約11mの井戸がある〜

  戦国時代高串道免城主の家藤監物が、天文15年(1546)板島丸串城に入ったというのが、板島丸串城の記録に現れた始めである。その後、天正3年(1575)西園寺宣久の居城となったが、同13年(1585)には伊予の国が小早川隆景の所領となり持田右京が城代となった。その後、同15年(1587)宇和郡は戸田勝隆の所領となり戸田与左衛門が城代となった。
  文禄4年(1595)藤堂高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、その本城として慶長元年(1596)築城工事を起こし、城堀を掘り、石垣を築いて、天守閣以下大小数十の矢倉を構え、同6年(1601)ごろまでかかって厳然たる城郭を築きあげた。
  慶長13年(1608)高虎が今治に転封となり富田信高が入城したが、同18年(1613)に改易となったので、約1年間幕府の直轄地となり、高虎が預かり、藤堂良勝を城代とした。
  慶長19年(1614)12月、仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石に封ぜられ、翌元和元年(1615)3月に入城の後宇和島城と改めた。
  それ以後、代々伊達氏の居城となり、2代宗利のとき寛文4年(1664)天守閣以下城郭全部の大修理を行い、同11年(1671)に至り完成した。
  天守閣は国の重要文化財に、また城跡は史跡に指定されている。別称鶴島城ともいう。
                                                                         <現地案内板より>

宇和島城

INDEX

等覚寺(宇和島市野川)にある伊達秀宗の墓

       長門丸跡
〜子供の遊び場になっている〜

藤兵衛丸跡(石垣上)

天守から見た本丸跡

本丸から宇和島港を望む

天守内部

裏手から見た天守

天守(現存、重文)

本丸に残る井戸

二の丸跡

井戸丸門跡

井戸丸門周辺の石垣

    登城口にある桑折(こおり)長屋門
〜家老・桑折氏屋敷にあった長屋門を移築〜

 概説

天守最上階から宇和島市街を望む

本丸跡と天守

櫛形門(一の門)跡