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浦戸城

 所在地  高知県高知市浦戸城山
 形式  山城
 主な城主  長宗我部元親・山内一豊
 遺構  曲輪・移築石垣・堀切
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日   @2013年4月12日
 A2024年3月21日
 満足度  A B C  E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可(天守台まで)

天守台跡

  長宗我部信親墓 説明版(拡大可)

  長宗我部元親墓 説明版(拡大可)

天守跡説明板(拡大可)

  長宗我部元親の墓(高知市長浜6619付近)

詰ノ段から真下に桂浜が見える

詰ノ段(本丸跡)

天守台付近に移築された石垣

  浦戸城は、戦国時代の土佐を代表する武将・長宗我部元親が、土佐一国を領有する拠点として整備した城である。この地は浦戸湾の入口に位置し、交通の要衝として重要な地で南北朝時代からこの地をめぐる攻防が繰り返されてきた。
  戦国時代、長岡郡本山を本拠地とする本山氏が高知平野に進出し、朝倉城(高知市朝倉所在)を拠点としてその勢力を拡張した際、ここに城を築いたのが中世の山城として整備されたはじめである。
  1560(永禄3)年、本山氏を破った長宗我部氏はこの城を奪った。1585(天正13)年に土佐一国の領有を認められて後、元親は一時大高坂山(現・高知城跡のある地)に城を築いたものの治水に失敗し、1591(天正19)年頃再びこの地に移転以後、10年間にわたって浦戸城は長宗我部氏の本城となった。
  現存する遺構は、天守台跡、詰ノ段、ここから西へ三ノ段、三ノ下段、掘切及び二ノ段などであるが、中世の山城的構造をもとに、詰ノ段を取り巻く土塁配置や天守を備えた点などの近世城郭としての特徴を併せ持つ、土佐の城郭史上貴重な遺構といえる。

                                                                         <現地案内板より>

  長宗我部元親銅像 説明版(拡大可)

浦戸城

INDEX

長宗我部信親の墓(高知市長浜・雪蹊寺)

天守台上

 概説

  長宗我部元親銅像(高知市長浜・鎮守の森公園緑地)