内山城

 所在地  長野県佐久市内山
 形式  山城
 主な城主  大井貞清
 遺構  曲輪・石垣・堀切・井戸
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2017年4月24日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

    5郭東側にある断崖
〜のぞきこんだだけで足がすくむ〜

              5郭(仮称)
〜4郭の南側にあるさらに一段低い曲輪。この向こうは急崖
になっている〜

本丸に沿って長く伸びる帯曲輪

三の丸跡

所々に標識はあるが、登山道が落ち葉で覆われていて
わかりにくい。山頂までは徒歩20分程度である。

内山城

INDEX

  内山城は、永正年間(1504〜21)に、大井美作入道玄岑が築城したと思われる。その後天文15年(1546)に武田信玄は佐久の諸城を奪って上原伊賀守昌辰を配した。天文17年(1548)、佐久に侵入した村上義清の軍としばらく攻防戦が続いたが、信玄自身が諏訪から佐久へ出馬しこれを退けた。天正10年(1582)に武田氏が滅亡し、佐久の諸城が次々と徳川氏の手に帰していくなかで、内山城も同11年に家康の麾下依田信蕃らの手によって攻略された。比高80メートルに及ぶ断崖上にある城の縄張りは、比較的よく保存されており、石塁も各所に残っている。ほぼ三角状をした本丸の北に、一段ずつさがって二の丸・三の丸が続き、さらに急斜面に小さく築かれたいくつかの郭を経て、堀切・水の手がある。
                                                                         <現地案内板より>

4郭下の石積

              4郭(仮称)
〜本丸奥(南側)にある本丸より一段低い郭で、形状的には
こちらの方が二の丸といった感じがする〜

二の丸跡

三の丸からは遠くに浅間山が見える

山頂付近は巨石がゴロゴロ横たわっている

中腹にあるやや広めの曲輪

       山麓にある園城寺
〜園城寺の脇(東側)に登山口がある〜

 概説

内山城遠望

本丸下の石積

本丸跡

山頂に近づくと左手に見える石垣