津山城




| 所在地 | 岡山県津山市山下 | 
| 形式 | 平山城 | 
| 主な城主 | 山名忠政・森忠政・松平宣富 | 
| 遺構 | 石垣・堀 | 
| 指定・選定 | 国指定史跡・日本100名城 | 
| 訪城年月日 | 2007年4月30日 | 
| 満足度 | A B C D E | 
| 登城難易度 | A B C D E | 
| 車での登城 | 不可 | 
           天守跡
  〜かつてはここに五重の天守が建っていた〜

天守台

備中櫓(内側より)

      本丸南隅に建つ備中櫓(平成17年復元)
  〜備中櫓の名称は、森忠政の長女 「於松」 が鳥取藩主池田
  備中守長幸に嫁いでおり、長幸が津山城を訪れるのを機に
  造られたことに由来するという〜

本丸長櫓跡

本丸東側の石垣群



                本丸跡
  〜本丸には本丸御殿が建っていたが、文化6年(1809年)
  火災により焼失した〜

本丸への入口となる表鉄門跡




二の丸への入口となる表中門跡
三の丸跡
三の丸への入口となる冠木門跡



辰巳櫓跡(二の丸と本丸の間の段)
弓櫓跡(二の丸と本丸の間の段)
  津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長9年(1604)に起工し、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。
    往時には5層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には70余の部屋からなる御殿と庭園がありました。
    この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。
    明治6年(1873)、廃城令によって城郭は公売され、翌7年から8年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。
    その後、明治33年(1900)城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年に国の史跡に指定されました。
                                                                           <現地案内板より>
津山城
本丸東南隅にある太鼓櫓跡
本丸御台所跡
二の丸と本丸の間にある切手門跡
二の丸跡
津山藩祖・森忠政の像