つ ま ぎ

妻木城

 所在地  岐阜県土岐市妻木町
 形式  山城
 主な城主  妻木広忠・頼忠
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
 指定・選定  県指定史跡
 訪城年月日  2018年11月12日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  可

三の曲輪からは眺望がよくきく

三の曲輪

池跡(庭池?)

北麓にある士屋敷跡

伝 旗立岩(一の曲輪)

伝 物見杉(一の曲輪)

二の曲輪

三の曲輪

太鼓櫓跡と蔵跡を区切る堀切

伝 南曲輪

堀切にはくさびの跡が残る巨岩が横たわっている

南曲輪付近にある巨石群

  妻木城は土岐市の南部、妻木町を見下ろす標高409mの城山の山頂に築かれた山城です。また城山の北側山麓には御殿跡、士屋敷跡と云われる遺構が残されています。
  いつ築城されたかは定かではありませんが、暦応2年(1339年)に土岐明智頼重(土岐明智氏、妻木氏の祖)が、祖父である美濃守護土岐頼貞の遺領を継ぎ、妻木郷の領主になった後に築城されたと云われます。
  土岐明智氏が代々妻木郷を治めますが戦国時代に入ると没落し、城主は一族の妻木氏に変わります。妻木氏は織田武田の抗争に始まる
動乱期に遠山氏、小里氏など周辺領主が没落していく中で一貫して妻木郷を領してきました。
  妻木氏は関ヶ原の戦い(1600年)に東軍(徳川方)に味方し、岩村城(恵那郡岩村町)を攻略します。その戦功により土岐郡内7500石の
領主として3代続きますが、万治元年(1658年)城主が急死し跡継ぎが無く、妻木氏は断絶し妻木城は廃城になりました。
  妻木城主は代々陶器の生産を奨励し、織部志野などに代表される美濃焼を育てた領主としても注目されています。
  妻木城は築城から廃城まで約600年間に渡って存続し、時代と共に改修されてきました。山上には曲輪(くるわ)や堀切、土塁、石垣などが残り、本丸、太鼓櫓、蔵跡などの伝承が今に伝わります。また山麓には関ヶ原の戦い以後大改修されたと思われる御殿跡や士屋敷などの区画が石垣とともに残されています。
  近世初頭の城郭遺構が居館や家臣団の屋敷、城下町を含めて残されている例は全国的にも極めてまれで、山麓の御殿跡、士屋敷跡も含めて岐阜県史跡に指定されています。
                                                                          <現地案内板より>

妻木城

INDEX

城池

御屋敷上段

御屋敷上段への虎口

御屋敷跡

城主の御屋敷跡

      士屋敷跡
〜多くの石垣が残っている〜

一の曲輪(祠は城山八幡神社)

一の曲輪

一の曲輪

一の曲輪石垣・虎口

一の曲輪石垣・虎口

一の曲輪石垣

二の曲輪虎口・門跡

伝 御釜屋跡

伝 蔵跡

伝 太鼓櫓跡

伝 太鼓櫓虎口

井戸跡

土塁

巨石は人が積んだものではなく、「節理」という自然現象で
できたものらしい。

伝 南曲輪虎口

南曲輪付近にある巨石群

城池畔に設置されている案内板

 概説

伝 太鼓櫓南側の堀切