津城

 所在地  三重県津市丸之内
 形式  平城
 主な城主  織田信包・藤堂高虎
 遺構  石垣・堀・井戸
 指定・選定  県指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2016年5月22日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

      東鉄門(ひがしくろがねもん)跡
〜今は面影がないが、ここは本丸の東虎口にあたり、
枡形の櫓門があった〜

        本丸北東隅にある丑寅櫓
〜昭和33年に復元された城内で唯一の建物である〜

              本丸跡
〜本丸跡は噴水公園になっているが、往時は本丸御殿
が建っていた〜

本丸丑寅(うしとら)櫓前にある縄張図

本丸北西隅にある戌亥(いぬい)櫓跡

    西の丸跡
〜庭園になっている〜

西の丸枡形虎口の石垣

西の丸枡形虎口

西の丸虎口

津城

  津城は、織田信長の弟信包によって築城された。信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしてきたとき、長野氏の養子に入ったものである。天正
8年(1580)には5層の天守閣が完成し、当時柳山付近が中心であった津の町から町家や寺院が移され城下町が作られた。その後、富田氏が城主となり、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いのとき西軍の攻撃を受け、城・城下町とも戦火を受けた。
  慶長13年(1608)、藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に角櫓を築き、堀も整備したが、天守閣は再建されなかった。津城は典型的な平城で、堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭式または囲郭式といわれる形の城である。
  城下町は、城を中心に北・西・南側に武家屋敷、東側に町屋が置かれた。町はずれを通っていた伊勢街道を城下に引き入れ、町の発展を図った。また、堀川を掘り、東側の守りとしたが、物資の運搬にも利用され商業の発展に役立てられた。さらに堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合に備えた。

                                                                         <現地案内板より>

INDEX

       東の丸跡
〜現在は駐車場等になっている〜

           天守台
〜残念ながら台上に上がることはできない〜

          本丸南西隅にある天守台
〜織田信包の時代には5重の天守と小天守が建っていた〜

本丸南虎口(埋門)

本丸南東隅の月見櫓跡

本丸東端に建つ城址碑

        本丸北東隅の石垣
〜本来はこの石垣上に丑寅櫓が建っていた〜

丑寅櫓

本丸跡に建つ藤堂高虎の騎馬像

戌亥櫓跡

内堀(西の丸西側)

 概説

    二の丸跡に建つ津市役所
〜往時は二の丸御殿が建っていた〜