富山城

富山城

INDEX
 所在地  富山県富山市本丸
 形式  平城
 主な城主  神保長職・佐々成政・前田利長・前田利次
 遺構  千歳御門・曲輪・石垣・堀
 指定・選定  続日本100名城
 訪城年月日  2025年5月13日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

本丸東虎口(裏門跡)

前田正甫像の説明版(拡大可)

本丸南虎口の石垣

本丸南虎口の石垣

            本丸南虎口
~本丸の表門である鉄門(くろがねもん)があった~

二の丸跡(富山市大手町)

千歳御門説明版(拡大可)

千歳御門(内側)

                                    千歳御門
~本来、この場所に門はなかったが、平成20年に千歳御殿(10代藩主前田利保の隠居所)跡から富山城址公園に移築された~

本丸東側の石垣

本丸跡に建つ富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)の像

                本丸跡
~明治維新で廃城となった後も本丸御殿は取り壊されず、
県庁舎として引き続き使用されたが、明治32年(1899)に
火事で焼失した~

模擬天守最上階(4階)展望台

模擬天守内

郷土博物館説明版(拡大可)

     本丸跡に建つ模擬天守(富山市郷土博物館)
~江戸時代の絵図には天守の記載がなく、実際には天守は
建てられなかったと考えられている~

内堀

模擬天守

富山城の模擬天守、石垣、内堀

じんぼうながもと

  富山城は天文12年(1543)、越中西部の守護代・神保長職によって築かれた。永禄3年(1560)、隣国越後の上杉謙信に攻められて落城し、
富山城は上杉方の城となった。上杉謙信の死後、城は上杉と敵対していた織田信長によって攻略され、信長の家臣佐々成政が城主となった。
しかし、本能寺の変後の天正13年(1585)に羽柴秀吉に攻められて降伏し、城は破却された。その後、富山は能登・加賀を領した前田利家の
所領となり、関ヶ原合戦後、利家の子利長によって再建された。寛永16年(1639)、加賀藩2代藩主前田利常が次男の利次に10万石を分与して
富山藩を立藩し、以後、富山前田氏は明治維新まで存続した。現在、本丸跡に建っている模擬天守は、昭和29年に建てられた博物館 「富山市
郷土博物館」 であり、建物は平成16年、国の登録有形文化財に登録された。

本丸跡にある庭園(平成27年作庭)

 概説

本丸南虎口