舘山城
曲輪Uの西側にある大堀切
〜深さは10m以上ある。大堀切の向こう(西側)に曲輪Vや物見台があるらしいが、道が不明瞭であったため、ここで引き返した〜
所在地 | 山形県米沢市大字舘山 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 伊達晴宗・輝宗・政宗 |
遺構 | 曲輪・石垣・土塁・堀切・竪堀・井戸 |
指定・選定 | 国指定史跡 |
訪城年月日 | 2022年5月10日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
車での登城 | 不可 |
「舘山城保存会」が山麓の入口手前に設置した案内板
桝形虎口
登山口
〜城の大手口で、ここから山上までは徒歩3分程度である〜
大堀切からの眺望(川は大樽川)
天然の堀となった大樽川
曲輪U西側土塁の上部
曲輪U西側の土塁
〜長さ約70m、高さ約5mの大土塁である〜
曲輪U
〜東西約60m、南北約70mの広さがあり、説明板(写真右)
には戦国期はここが主郭であった可能性があると記されている〜
桝形虎口に残る石垣
桝形虎口
曲輪Tの桝形虎口
〜川原石(石垣の裏込石)が散乱して破城の痕跡が残る〜
曲輪Tの切岸
曲輪Tの北虎口
曲輪T説明板(拡大可)
〜山麓の説明板(保存会が設置)ではこの曲輪は馬出曲輪
(曲輪U)となっていたが、この説明板(米沢市が設置)では
ここを曲輪T(主郭)としている〜
曲輪T
〜東西約120m、南北約70mの広さがある〜
曲輪Tの南虎口
東館井戸跡(3号井戸・4号井戸)
東館井戸跡
東館跡
舘山城
舘山城は、伊達晴宗が天文17年(1548)に福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際の主城と考えられています。以後、伊達氏は、
輝宗、政宗と引継ぎ、天正19年(1591)に政宗が岩出山(岩手沢)城に移るまでの43年間をここ米沢で過ごしました。本城は、大樽川と
小樽川に挟まれた舌状丘陵部に築かれた全長350mを有する山城で、大規模な土塁と掘切や縦堀によって、主郭(曲輪T)、馬出(曲輪U)、
西曲輪(曲輪V)を構成しています。遺存状況も良好で、大手門・物見台・虎口・枡形・搦手・帯曲輪等の遺構も明確に残っています。
城の周囲には、三個所の平坦地(南館・北館・東館と仮称)が置かれ、北館からは石垣を配した遺構や家臣団の屋敷跡群、東館からは庭園
跡の一部や井戸跡、敷石遺構が発掘調査によって検出されています。また、南館からは大規模な空間を整地していることが確認されています。
このように舘山城は、自然の地の利を活かした要害の城で、山城を本丸として直下に居館を配置する構造は、後の岩出山城や仙台城にも取り
入れられ、伊達氏山城の原点となったものと考えられます。
<現地案内板より>
曲輪T・U間の堀切
曲輪T・U間の堀切
桝形虎口に残る石垣は上杉景勝時代のものと考えられている
腰曲輪(曲輪Tの東端)
曲輪U北西虎口
東館(ひがしだて)跡
〜山麓東側にあった居館跡であり、この場所に駐車できる〜
伊達政宗は舘山城で産まれたと考えられている