高天神城

 所在地  静岡県掛川市上土方
 形式  山城
 主な城主  小笠原氏興・信興(長忠)
 遺構  曲輪・空堀・堀切・土塁・井戸
 指定・選定  国指定史跡・続日本100名城
 訪城年月日  2000年11月4日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C  E
 車での登城  不可

三の丸跡

高天神城

  高天神城は室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ、戦国時代には駿河・遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。
  元亀2年(1571)には、武田信玄が徳川方となった高天神城を攻めており、このときは大規模な戦闘は行われませんでした。
  天正2年(1574)5月には、信玄の息子勝頼が当城に攻め寄せ、徳川方の城主小笠原与八郎長史(氏助)は1ヶ月程の籠城と激しい戦闘の末、開城し武田方に降っています。
  その後、武田方となった高天神城は徳川家康の攻撃をたびたび受けることとなります。天正3年(1575)5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田氏は当城を支えきれず、天正9年(1581)3月22日、ついに落城しました。高天神城はその後すぐに廃城となり、現在に至っています。
                                                      
                    <現地案内板より>

INDEX

    高天神城跡遠望
〜周辺にはお茶畑が広がる〜

山頂からの眺望

搦手門跡

西峰の空堀

西峰の堀切

袖曲輪跡

二の丸堂の尾曲輪跡

二の丸跡

馬場平

高天神社(西の丸跡)

的場曲輪跡

井戸曲輪跡

            大河内政局石窟跡
〜武田勝頼に攻められて落城した際、徳川方軍監・大河内
政局は勝頼に屈せず、この石窟に7年間幽閉された〜

本丸跡

大手門跡

 概説

元天神社跡

       御前曲輪跡
〜顔出し看板は小笠原長忠夫妻〜