立花山城

 所在地  福岡県福岡市東区香椎
 形式  山城
 主な城主  立花道雪・宗茂
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2001年10月6日
 満足度  A B C  E
 登城難易度   B C D E
 車での登城  不可

古井戸

わずかに残る本丸石垣

立花山城

INDEX

  立花城は1334年に、足利尊氏の家臣として仕えた大友貞宗(本拠地・豊後)の子・大友貞載の築城で、貞載がこの地名の立花姓を名乗って以来、立花氏は勢威を振るい、「筑前の要塞」として重要拠点となった。
  戦国時代には、有数の貿易港・博多の利権争いをめぐって、立花城を舞台に熾烈な争奪戦が繰り広げられた。
  戦国を征した豊臣秀吉が九州を統一後、立花氏は、柳川城主として移った。
  立花城(山城)には小早川氏が入城したが、水軍を得意としたため名島に城を築く。後に、黒田氏が名島城に入城し、西暦1601年に福岡城を築いてより立花城は廃城となった。
  福岡城の城壁の石は主に立花山より移送したものが多く、立花山には僅かながら城の石垣跡が点在している。
                                                                          <現地案内板より>

「鬼道雪」と恐れられた立花道雪の墓

立花山北麓にある梅岳寺
〜立花道雪の墓がある〜

      本丸跡からの眺望
〜街並みの向こうに博多湾が見える〜

本丸跡にある説明板

 概説

       本丸跡
〜ハイカーで賑わっていた〜

  「立花山山頂」の看板
〜山頂が本丸部分である〜