周山城

 所在地  京都府京都市右京区京北周山町
 形式  山城
 主な城主  明智光忠(光秀の従父弟)
 遺構  曲輪・石垣・土塁・堀切・井戸
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2021年5月8日
 満足度   B C D E
 登城難易度  A  C D E
 車での登城  不可

小姓曲輪西下の曲輪

本丸の西側にある小姓曲輪

本丸西斜面の石垣

                     本丸
〜本丸は約40m四方の広さで、中央に天守(3層?)が建てられていた〜

本丸虎口(東側)

二ノ丸

本丸

二ノ丸

            「周山城趾」の碑
〜兵糧蔵のある曲輪東端に建っており、すぐそばにNHKの
受信アンテナがある〜

周山城

  京北十景の1つに数えられ、城山として親しまれている山城の遺構は天正年間(1570年代)丹波平定を命じられた明智光秀が築城した
周山城の跡と伝わる。
  若狭から京都を結ぶ周山街道の押さえを目的とした城で、山頂部は主郭を中心に東西南北の尾根上に曲輪を造成。主郭東側には低い
石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせていたと推察される。虎口や井戸の跡、建物の存在を示す瓦片からは織豊期の
特徴が見られ、現存する総石垣の遺構は壮大である。主郭から西へ続く尾根にある曲輪群の石垣は特に当時の様子を残しており、野面積み
ながらも非常に高い石垣が見られる。また、西尾根部分には土の城跡があり、支城の存在が確認できる。
  当城は、天正9年(1581年)8月に光秀が津田宗及と十五夜の月見を楽しんだほか、本能寺の変後の同12年2月に豊臣秀吉が入城した
記録も残る。
  織豊期の築城技術の特徴を残し、文化財としての価値も高い、中世京北町史の貴重な遺産である。
                                                                        <現地案内板より>

小姓曲輪石垣

INDEX

小姓曲輪石垣

小姓曲輪下の井戸

小姓曲輪

小姓曲輪石垣

本丸西斜面の石垣

本丸西斜面の石垣

本丸の南側にある鷹屋ノ丸

鷹屋ノ丸虎口

天守の土段

本丸虎口(北側)

   本丸に設置されている説明板
〜文字が劣化してほとんど読めない〜

    本丸に設置されている見取図
〜城が総石垣造りであったことがわかる〜

                        二ノ丸
〜崩れた石垣の石が散乱している。両サイドに登り石垣があったと考えられている〜

二ノ丸虎口の石積

二ノ丸虎口

兵糧蔵を過ぎ再び急坂を登る

兵糧蔵のある曲輪から見た景色

鍛治屋を過ぎると道は一気に急坂となり二手に分かれる。
この上には「兵糧蔵」と呼ばれる曲輪があり、直登しても
左手の道を行っても兵糧蔵に辿り着く。

山頂に近づくと「鍛治屋」と呼ばれる曲輪が現れる

登山道途中にある切通し

                登山口B
〜ここから本格的な登山が始まる。大手門跡の看板がある〜

             登山口A
〜程なくすると道は山の方向に向かって登りだす〜

               登山口@
〜バス停 「JA京北支店前」 脇を西へ。約80m先で道が
3方向に分かれるので中央の道を進む〜

 概説

            天守台
〜天守は穴蔵式構造で土段や石垣が残る〜

                 兵糧蔵
〜兵糧蔵と表記されているが、三ノ丸に相当する曲輪である〜