野田城は、享禄4年(1531)、細川晴元と三好元長とが対立抗争した際、三好方の浦上村宗(掃部)が野田・福島に陣取り、築城された
と考えられている。
元亀元年(1570)、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)が籠城し、織田信長に対抗するが、天正4年(1576)、信長軍の猛攻
を受けて落城した。その後、野田城や近くにある福島城は、信長の石山本願寺攻略の重要拠点となった。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣の野田・福島の戦いにおいて、豊臣方の大野治胤(治長の弟)が城を築いて守備したが、これが過去の
野田城と同一のものかどうかは不詳である。
近くの極楽寺の前にも石碑がある
現在は石碑があるだけで遺構は全くない
摂津野田城
| 所在地 | 大阪府大阪市福島区玉川 |
| 形式 | 平城 |
| 主な城主 | 三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通) |
| 遺構 | なし |
| 指定・選定 | なし |
| 訪城年月日 | 2012年5月20日 |
| 満足度 | A B C D E |
| 登城難易度 | A B C D E |


野田城
