仙台城

 所在地  宮城県仙台市青葉区川内
 形式  平山城
 主な城主  伊達政宗・忠宗
 遺構  曲輪・石垣・堀・土塁
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日  2025年10月24日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 
 車での登城  可
INDEX

瑞鳳殿 説明版 (拡大可)

    瑞鳳殿 本殿
~ここに伊達政宗が眠る~

瑞鳳殿 唐門

瑞鳳殿の正面門である涅槃門(ねはんもん)

伊達政宗の霊屋 「瑞鳳殿」 (仙台市青葉区霊屋下)

三の丸堀跡

三の丸子門石垣

三の丸子門(ねのもん)跡

二の丸入口に建つ支倉常長(伊達政宗家臣)の銅像

本丸跡から仙台市街を望む

二の丸広場の説明版(拡大可)

               二の丸跡
~東西約310m、南北約200mの広さで、現在は青葉山
公園の二の丸広場になっている~

二の丸入口

大手門北側土塀

大手門北側土塀(現存)

大手門脇櫓

           大手門脇櫓
~中央の石碑には「仙臺城址」と書かれている~

本丸北壁石垣

本丸北壁石垣

           山麓に建つ大手門脇櫓
~昭和20年の空襲で大手門とともに焼失したが、昭和42年
に再建された~

本丸東脇櫓石垣

詰門跡

        本丸北側の入口である詰門跡
~二階建の櫓門で、左右(東西)には三重の脇櫓(東脇櫓・
西脇櫓)が築かれていた~

            本丸絵図(拡大可)
~本丸は東西245m、南北267mの広さで、南西部の高台
には天守台がある(天守は建てられず)~

本丸御殿大広間跡

本丸跡に建つ城址碑

本丸跡

                本丸跡
~本丸があった山頂までは車で行くことができ、駐車場から
この場所まではすぐである~

本丸跡に建つ伊達政宗の騎馬像

  仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代の末から室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したといい、室町時代の
末頃には国分荘の国人国分氏が一時居城したともいい伝えられているが明らかでない。豊臣氏の頃、後の仙台藩祖伊達政宗公は天正19年
(西暦1591年)以来58万石を領して玉造郡岩出山城に在ったが、慶長5年(西暦1600年)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応
した会津の上杉景勝を牽制し家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を増加、仙台60万石(後ち近江、常陸で
2万石増加)に封ぜられた。この時政宗公34才、大いに工を起して仙台城を築城、同時に戸数1万8百人口5万2千の城下町を開いた。二代
忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩にふさわしい城郭を完成した。
  かくして仙台城は藩祖以来伊達氏、13代270年にわたり1度も戦火を被らなかった平和な城として郭内の殿舎、楼櫓を完全に保存して明治
時代に至ったが、心無き俗吏によって破却せられ、あるいは火を失し、戦災に罹りなどして全滅に帰した。尚本丸の地は仙台七崎の一つ青葉
ヶ崎で仙台城の俗称を青葉城とよぶのはこのためである。
                                                                         <現地案内板より>

仙台城

               二の丸跡
~2代藩主伊達忠宗は山麓に二の丸を造営し、そこに移り
住んで政務を行った~

本丸跡に建つ宮城縣護國神社

縄張図(本丸跡設置案内板より)

金山城

 概説

               三の丸跡
~現在は仙台市博物館が建つ。三の丸の広さは東西約
140m、南北約120mあり、築城当初は伊達政宗の屋敷
があったが、その後は米蔵などの蔵屋敷となった~

本丸南側の入口である埋門跡