篠山城

 所在地  兵庫県篠山市北新町
 形式  平山城
 主な城主  松平康重・青山氏
 遺構  石垣・堀・井戸
 指定・選定  国指定史跡・日本100名城
 訪城年月日   @1982年7月
 A2010年5月4日
 満足度  A B  D E
 登城難易度  A B C D 

              天守台
〜天守台はあるが実際には天守は築かれなかった〜

二の丸大書院(おおしょいん、平成12年復元)

三の丸広場にある案内図

篠山城

INDEX

  篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609)豊臣氏の居城である大坂城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。築城工事は西日本の15ヵ国20諸侯の大名に夫役を命じた天下普請で行われ、縄張奉行の藤堂高虎(三重県津城主)、普請総奉行の池田輝政(兵庫県姫路城主)らが指揮を執り、突貫工事によりわずか1年足らずで完成しました。但し、天守閣は家康の命令で築かれていません。
  初代城主として家康の実子である松平康重が八上城から移り、松平氏三家八代と青山氏六代といずれも徳川譜代の有力大名に引継がれ、
260年余の幕藩体制のもと、篠山藩五万石の政治・経済・文化の拠点としてその役割を果たしてきました。

                                                                      <篠山城パンフレットより>

東馬出跡

二の丸石垣と内堀

天守台

               本丸跡
〜本丸には二重の隅櫓が3基建っていたが、御殿等の建物
はなかったようである〜

本丸跡に建つ青山神社
〜藩主・青山氏を祀る〜

本丸石垣

二の丸井戸

表門の奥にある鉄門(くろがねもん、模擬)

表門跡

 概説

二の丸御殿跡