鮫ヶ尾城

 所在地  新潟県妙高市大字宮内・籠町・雪森
 形式  山城
 主な城主  堀江宗親(上杉謙信家臣)
 遺構  曲輪・堀切・竪堀・井戸
 指定・選定  国指定史跡・続日本百名城
 訪城年月日  2025年5月28日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B  D E
 車での登城  不可

上杉景虎の供養碑

勝福寺境内には御館の乱で敗れて自刃した上杉景虎の像と
供養碑がある

   山麓に建つ勝福寺(妙高市大字乙吉)
~城主の居館があった場所と考えられている~

        西の丸(N177曲輪)跡?
~全く整備されておらず、標識は見当たらなかった~

本丸-二の丸間の堀切

本丸跡

本丸跡からの眺望

本丸跡

本丸跡の城址碑

本丸跡

米蔵跡

本丸跡から見た米蔵跡

本丸-米蔵間の堀切

                米蔵跡
~本丸の北隣にある曲輪で、御館の乱の時に焼けた米が
出土している~

本丸-米蔵間の堀切

本丸下の腰曲輪から本丸跡・米蔵跡へ

本丸下の腰曲輪

        北登城道
~傾斜が緩やかな登山道である~

                  縄張図
~北登城口にある「斐太歴史の里」に設置されている案内板より~

鮫ヶ尾城

INDEX

  鮫ヶ尾城は上杉謙信の時代に大規模な山城として完成し、天正7年(1579)の御館の乱の戦火で落城するまで、当地の拠点山城として機能
しました。
  標高185mの山頂(通称本丸跡)は眺望に優れ、日本海から信越国境の関田山脈までを一望することができます。山頂周辺の尾根筋に主要
な曲輪や堀切が集中的に配置され、籠城するための空間として入念に整備されています。
  御館の乱以後、火事場整備を経て再利用された形跡がないことから、謙信時代の姿を忠実に留める山城として高く評価することができます。
                                                                          <現地案内板より>

三の丸下の井戸

三の丸下の井戸

本丸跡の東屋

 北登城口(斐太歴史の里総合案内所の裏手)
~ここから本丸跡までは徒歩20分程である~

上記の案内板

 概説

三の丸跡

三の丸跡

二の丸跡

二の丸跡