さ か さ い
逆井城
所在地 | 茨城県坂東市逆井 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 逆井氏・後北条氏 |
遺構 | 曲輪・空堀・水堀・土塁 |
指定・選定 | 県指定史跡 |
訪城年月日 | 2023年10月12日 |
満足度 | A B C D E |
登城難易度 | A B C D E |
一曲輪土塁
一曲輪跡
一曲輪跡
一曲輪南側の鐘掘り池
一曲輪南側の空堀
城址碑(東二曲輪跡)
東二曲輪跡
東二曲輪跡
西二曲輪跡
西二曲輪西側土塁
西二曲輪跡に復元された建造物
大手口
移築された関宿城(千葉県野田市)の城門
井楼矢倉
逆井城跡公園イラストマップ(現地案内板)
関宿城門説明版(拡大可)
一曲輪虎口
馬出
西門跡
井楼矢倉(せいろうやぐら)
西二曲輪南側の水堀
〜往時は船着場だったとされる〜
逆井城
逆井城は、飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。飯沼は江戸時代の新田
開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1km・南北30kmにわたり、その名残を残しています。今から約410年前の戦国時代に、この飯沼
が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
進攻を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5年10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるため大鋸引の職人をよん
でいます。城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動勢を報告していますが、翌天正6年にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となり
ました。
天正18年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました。
<現地案内板より>
一曲輪東側の空堀
一曲輪東側の空堀
復元された大台城(茨城県潮来市)の主殿
井楼矢倉からの眺め
井楼矢倉説明版(拡大可)
二層櫓説明版(拡大可)
二層櫓内部
一曲輪東側の空堀
一曲輪東側の空堀
一曲輪南側の空堀
主殿説明版(拡大可)
馬出
馬出
井楼矢倉からの眺め
二層櫓