佐賀城

佐賀城

 所在地  佐賀県佐賀市城内
 形式  平城
 主な城主  鍋島勝茂
 遺構  鯱の門及び続櫓・石垣・堀・土塁
 指定・選定  県指定史跡・日本100名城
 訪城年月日  2015年10月14日
 満足度  A  C D E
 登城難易度  A B C D 

  戦国時代、佐賀城のあった場所には戦国大名龍造寺氏の居城村中城があった。天正12年(1584)、龍造寺隆信が島津氏と戦って敗死すると、実権は家老の鍋島直茂が握った。直茂は、慶長7年(1602)から村中城の拡張を開始し、慶長16年(1611)、子の勝茂の代に完成。名も村中城から佐賀城に改められた。以後、明治維新まで鍋島氏が城主であったが、その間、度々火災に見舞われて建物が焼失している。享保11年(1726)の火災では、天守をはじめ多くの建物が焼失し、二の丸に御殿を建造して政務が行われた(天守は以後再建されず)。また、天保6年(1835)の火災では、その二の丸御殿が焼失し、今度は本丸御殿を再建して政務が行われた。現存する鯱の門はこの再建時に建造されたものである。さらに、明治7年(1874)にも江藤新平らによる佐賀の乱が起き、本丸御殿のほか多くの建物が失われた。

          三の丸跡
〜三の丸跡には県立博物館が建っている〜

      龍造寺隆信誕生の地(佐賀市中の館町)
〜この地には佐賀城が築城される以前は水ヶ江城があり、
隆信はこの水ヶ江城で生まれた。龍造寺家には村中(宗家)
と水ヶ江の2系があり、隆信は天文17年(1548)、村中龍造
寺家の跡を継いで宗家の当主となった〜

龍造寺隆信の墓(左)

  佐賀藩祖鍋島直茂の墓(左)
〜右側は継室陽泰院の墓である〜

初代藩主鍋島勝茂の墓(中央)

           二の丸跡
〜現在二の丸跡にはNHK佐賀が建っている〜

              天守跡
〜ここに5層の天守が建っていた。享保11年(1726)、
大火によって焼失し、以後再建されることはなかった〜

天守虎口

天守台

天守台

    本丸御殿御座間(ござのま)
〜10代藩主鍋島直正が居住したところ〜

本丸御殿外御書院(大広間)

本丸御殿廊下

本丸御殿(平成16年復元)

鯱の門続櫓

INDEX

龍造寺高房(隆信の嫡孫)の墓(左)

龍造寺政家(隆信の嫡男)の墓

本丸南堀

本丸南側土塁

        本丸南西隅櫓台(復元)
〜この櫓台には一度も櫓は建てられなかった〜

             鯱の門
〜天保7年(1836)に建造された本丸門である〜

 概説

鍋島家の菩提寺である高伝寺(佐賀市本庄町大字本庄)
〜鍋島家歴代当主の墓のほか、龍造寺氏の墓もある〜

本丸御殿玄関

本丸御殿