大津城

 所在地  滋賀県大津市浜大津
 形式  平城
 主な城主  京極高次
 遺構  なし
 指定・選定  なし
 訪城年月日  2017年10月1日
 満足度  A B C D 
 登城難易度  A B C D 

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大溝城

INDEX

京阪電鉄浜大津駅北側の城址碑前にある推定縄張図

  戦国時代の終わり、豊臣秀吉は坂本城を廃し、この付近一帯に大津城を築きました。築城年代は天正14(1586)年頃とされ、初代城主は坂本城主であった浅野長吉(長政)、その後、増田長盛、新庄直頼を経て、文禄4(1595)年に京極高次が就任しています。
  高次の妻は浅井三姉妹の次女「お初」でしたが、慶長5(1600)年の天下分け目の関ヶ原の合戦においては、東軍についたため、西軍の大軍が大津城に押し寄せ、奮闘の末、関ヶ原の合戦の当日、開城しています。高次は西軍の大軍を引き付け、結果として関ヶ原の勝敗を大きく左右したとしてその後、加増のうえ小浜藩主に転封しています。
  大津城は合戦の翌年に廃城。徳川家康は、新たに膳所の地に天下普請第1号として膳所城を築いています。なお、大津城の天守は、落城しなかったという縁起をかついで彦根城に移されています。
  この付近は、復元された城の縄張図と照らし合わせると、東側の外堀に位置します。城が膳所に移された大津町は、その後、東海道と北国街道の分岐点として商業都市としての性格を強め、東海道五十三次の宿場町の中ではトップクラスの人口を有する町として繁栄しました。

                                                                         <現地案内板より>

 概説

本丸跡(=浜大津駅)遠望

浜大津駅北側の城址碑